出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B07QQCDTK2/?tag=cinema-notes-22
映画『レディ・バード』は『フランシス・ハ』で有名なグレタ・ガーウィグ監督・脚本のアメリカ青春映画です。
主演はシアーシャ・ローナン、カリフォルニア州サクラメントを舞台に家族愛と高校生活を描いています。
カトリック系の高校に通う彼女の苦悩・葛藤の日々が切々と描かれており、以下の功績を残しました。
ゴッサム・インディペンデント映画賞 女優賞受賞、脚本賞・ブレイクスルー監督賞ノミネート
ハリウッド・ミュージック・イン・メディア・アワーズ 音楽監督賞受賞
デンバー国際映画祭 Rare Pearl Award受賞引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/レディ・バード_(映画)
本稿では主人公レディ・バードがクリスティンと名前を使った意味をネタバレ込みで考察していきましょう。
また、彼女が教会へ行った理由や母親に反発する理由も併せて読み解いていきます。
“痛さ”で済まされない若さ
本作は青春映画としてはかなり珍しい「親子愛」をテーマに物語が展開されています。
レディ・バードは自他共に認める“痛さ”を抱えて生きる尖った高校生です。
特別な初体験に憧れたり、都会の大学への進学を夢見たり、お酒を飲んだりと行動が身の丈に合っていません。
日本ではこうした若さ故の過ちや痛さを中二病などという言葉で安易に片付けてしまっています。
逆にいうと若さ故の”痛さ”がどこから来るのかを踏み込んで考える人が少ないということではないでしょうか。
周囲からは痛く見える行動・言動であってもその裏には何かしらの主張・訴えが隠されているはずです。
それを頭ごなしに押さえつけるのではなくじっくり向き合って描いたのが本作です。
“痛さ”という言葉だけでは片付けられない若さが何を伝えてくれるのかを考察していきましょう。
クリスティンという名前を使った意味
本作のラストシーン、レディ・バードはその名前を捨て本名のクリスティンという名前を使います。
彼女はずっとこの名前を使うことを嫌っていた彼女がそうした意味は何なのでしょうか?
彼女の心情を中心に読み解いていきましょう。
少し大人へ近づいた
まず1つ目に挙げられるのはレディ・バードが少し大人に近づいたということです。
クリスティンという名前をずっと使わなかったのは母への反発からでした。
ニューヨークで全てを自分1人でしなければならない生活の苦労を知ったのです。
そして如何に母が今まで自分を支えてくれていたかを知り、留守番電話に吹き込みます。
ママへ…伝えたかったの。愛してる、ありがとう、感謝してる
引用:レディ・バード/配給会社:東宝東和
散々反抗して分かり合えなかった母と娘が和解したことを意味しています。
中々認められなかったものを認め、クリスティンはありのままの自分を受け止めたのです。
捨てられた手紙
感謝を伝えるきっかけとなったのはゴミ箱に捨てられた母からレディ・バードへ当てた手紙でした。
父が気を利かせてこっそり荷物の中へ入れるという粋な計らいをしてくれたお陰です。
ここで初めてレディ・バードは母が奥底で思っていた本心を知るに至ります。
今の時代であればメールでも良いのに、手紙で伝える所が非常に憎い演出でしょう。
面と向かってはいえないことでも文章だと案外素直に出せたりするものです。
ここ本心を知ったことがレディ・バードが前進する大きなきっかけとなりました。
本来の自分へ
そして3つ目にクリスティンが偽りの自分から本来の自分へ戻ったことを意味しています。
寧ろずっと名乗っていたレディ・バードこそ彼女が作り上げた偽物の自分なのです。