3つ目にニックもデヴィッドも共通して抱えていたテーマが「自分を見つめ直す」ことにあるからです。
クリスタル・メスという薬物はシェフ親子の愛を無残にも引き裂いてしまうものとなりました。
ま自分の子に限っては大丈夫などという油断・慢心があったことがこの悲劇を生んでいます。
それはニックも同じで、好奇心と10代特有の複雑な感情とが混ざり合って薬物使用へ繋がりました。
2人とも親子だからを口実に十分なコミュニケーションを図らず、その過程で自分を見失ったのです。
本作はニックが息子として、デヴィッドが親としてのアイデンティティを再生させる構造になっています。
「美しい少年」は誰か?
本作のタイトルにして劇中でかかるジョン・レノンの歌にもかかっている「ビューティフル・ボーイ」。
日本語に訳すと「美しい少年」となるのですが、果たしてこれは誰のことを指すのでしょうか?
その理由や定義と共に読み解きます。
ニック・シェフ
結論からいえば、「美しい少年」とはいうまでもなくニック・シェフのことを指します。
まず単純に演じるティモシー・シャラメのビジュアルがそれに説得力を持たせているのです。
“イケメン”でも”美男子”でもない“美少年”という言葉が似合う中性的な魅力の容姿ではないでしょうか。
また、その美しさは思春期特有の硝子細工のような脆さ・危うさ・儚さにもあるといえます。
薬物依存やニックの恋人の発作の描写などでそれが痛々しい程表現されているのです。
この尖った青春の闇を薬物依存と重ね合わせて描き出す発想が本作の白眉でしょう。
ジョン・レノンの歌
2つ目にジョン・レノンの曲の歌詞が正に本作のシェフ親子の物語と重なっているのです。
ジョン・レノンの原曲は妻ヨーコとの間に出来た息子ショーンに向けて歌っています。
本作はそれをデヴィッドからニックへ当てた歌という形で応用したのでしょう。
正当な形での本歌取りといえ、詩的な美しさもまたここに重ねられています。
本当に息子のことが可愛くて仕方ない父親という構図がこの曲で浮き彫りとなるのです。
デヴィッド視点の美化
そして3つ目にデヴィッドの視点で美化された物語ということもあるのではないでしょうか。
映画だからまだ抑えられていますが、薬物中毒者の現実はシェフ親子の描写では済まないレベルです。
本当に廃人寸前の関係にもなりますし、それどころか絶縁に至ってもおかしくありません。
だから本作の物語はある種の客観性と同時に父の息子に対する主観も入っているのです。
この主観と客観の織り交ぜが実に絶妙なバランスによって本作の物語は成立しています。
物語構造そのものをも全てこの「美しい少年」という言葉に凝縮しているのでしょう。
親子の絆
考察を重ねていくと、本作なりの親子の絆というものもまた見えてきます。
すれ違いや葛藤・衝突・すれ違い等々を繰り返してきたシェフ親子の絆は何なのでしょうか?
破壊と再生の繰り返し
本作における親子の絆の表現は破壊と再生の繰り返しといえるのではないでしょうか。
前半で1度薬物によって崩された絆は1度は元に戻り、ニックも無事大学進学まで進みました。