奨励会では子供の頃のような楽しむ将棋ではなく、他者を蹴落としてまで勝たないといけないという風潮があります。
相手に対しても非情になれない優しい心の持ち主である瀬川にとって、この風潮は辛いものであったでしょう。
しかし一度将棋から離れた瀬川はその後、再会した鈴木悠野と久しぶりの対局をしました。
親友や将棋道場の人々での対局のなかで、瀬川は将棋の本質ともいえる楽しさを思い出したのです。
純粋に将棋を楽しんでいた頃の気持ちを思い出すことで、あらためて将棋に向き合えるようになったと考えられます。
応援されるのがつらいのはなぜ?
プロの編入試験への挑戦が決まった瀬川に対して、多くの人々が応援の言葉をかけていました。
しかし、カラオケでは藤田に「応援されるのがつらい」という言葉を吐露しています。
なぜ瀬川は、知人達からの応援が苦痛に感じたのでしょう。
ここでは、瀬川が応援されるのがつらいと言った理由について考察していきます。
イレギュラーな自分自身への不安感
奨励会を退会したアマチュア棋士がプロの世界に編入するという、史上初の偉業を果たした瀬川。
前例のない挑戦であることから、奨励会やインターネットでは瀬川に対するバッシングの声も多かったことでしょう。
しかし、奨励会や世間の反対の声を押し切ってまで、編入試験の実施を実現させました。
そのため、イレギュラーな自分がプロを目指していいのかという不安が、応援をされる度に心に浮かぶのでしょう。
「がんばれ」という言葉の孤独感
瀬川の飛躍を応援すべく、家族や知人達は事あるごとに瀬川に「がんばれ」と声をかけています。
しかし当時の瀬川にとっては、周囲の人々からの「がんばれ」という言葉自体が苦痛であったのではないでしょうか。
励ます時に用いられる言葉ですが、精神的に不安定な時には無責任な言葉として受け取られる場合もあります。
不安のなかでも精一杯頑張っている時の「がんばれ」は、瀬川にとって孤独感を与えるものであったのではないでしょうか。
父親の死に涙を流した真意とは?
プロ棋士を目指す瀬川をどんな時でも肯定し続けてきた父親ですが、ある日突然交通事故で亡くなってしまいます。
兄からの連絡で、父親の遺体と対面した瀬川は初めて涙を流していました。
ここでは、瀬川が涙を流した真意について考察していきます。
自分自身への悔しさ
プロ棋士になるという瀬川の夢を、父親は「好きなことを一生懸命頑張ればいい」と心から応援していました。
その心は瀬川が挫折をしても変わらず、奨励会を退会した時にも「自分が働けばいいから休め」と話しています。