まだまだ自分たちは肉体的にも感覚的にも若いと思っています。
その振る舞いは実はテディ達から見ると非常にダサいのですが、本人はわかっていません。
マック夫妻はテディ達若者に対する理解があり、かつクールな大人としてリスペクトして欲しいと考えているのです。
一言でいえば、大人になりきれていない大人なのです。彼らはテディ達とのドタバタの中で青春時代への未練を断ち切り、大人らしい大人になっていきます。
祭りの終わり
大人になるということは祭りの終わりに気づき、祭りの後始末をして、今日と明日の折り合いを付けることを学ぶことです。
祭りは始まらないと終わりません。中途半端な大人にならないためには徹底的に祭りをやり切ることもまた大事です。
祭りの後のほろ苦い寂しやむなしさを覚えて人は大人になっていくのです。
まともなのはステラだけ
この作品でまともなのは赤ん坊のステラだけです。後は皆めちゃくちゃです。
ふと気づくと映画を見ている我々はステラの目線でドタバタ騒ぎを見ていることに気づかされます。
混沌としたドタバタ喜劇が散漫にならず一定のまとまりを持つためには北極星のような動かない一点が必要です。
ステラの存在がその一点の役割を果たしています。これによってこの作品が一つのまとまりを持ったものに仕上がっているのです。
隣人問題
「Neighbors(ネイバーズ)」の意味は「隣人」です。
このためタイトルだけ見るとこの作品はよくある隣人間トラブルをテーマにしたものと勘違いしてしまいます。
もちろんこの作品が狙っているのはそれだけではないことはこれまで考察してきた通りです。
一方この作品では何気なく、現実に不気味な隣人が存在する恐怖感も表してことを忘れてはいけません。
この作品のような学生クラブのような集団が隣に引っ越してくることは希ですが、自分たちの価値観で計れない隣人がやってくることはあり得ます。
そのような場合お互いに嫌がらせの報復合戦をやり合うことの無意味さを、この作品はドタバタ喜劇として表現しているのです。
【ネイバーズ】は単なるドタバタ喜劇ではない
【ネイバーズ】は隣人間トラブルをテーマにしたドタバタ喜劇を装いつつ、実は非常にシリアスな問題を扱っているのです。
大人になることの意味を深く考えらせられるだけでなく、男同士の友情や隣人問題にも思い致されます。
嫌がらせの報復合戦を面白おかしく楽しませてくれますが、同時に自分の過去や未来に思いを飛ばされたりもします。
あれだけのいさかいの後にもかかわらず、テディやマック達の未来に見える明るい兆しで爽やかな後味を残しているのも見事です。