出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B017B9AZ70/?tag=cinema-notes-22
映画『パラドクス』は2014年に公開されたSFスリラー映画で、日本では2016年の公開となりました。
監督はイサーク・エズバン、主演をエルナン・メンドーサが務めています。
様々な時系列の話が交差しながら、ループを繰り返した先に待ち受ける最後は見応え抜群です。
あるビルの非常階段でループに陥った兄弟と刑事の話から始まります。
作品としての完成度が非常に高く評価も相当に高い隠れた名作という立ち位置でしょうか。
本稿では2017年と1980年の話の意味をネタバレ込みで考察していきましょう。
また冒頭とラストの繋がりや35年の月日がもたらすものも併せて読み解きます。
テーマは”人生”
本作はそのSFガジェットやタイムパラドックスといった難解な要素に目を奪われがちです。
しかし、それらを剥いで読み解くと核の部分は至極真っ当に”人生“をテーマにしているのが窺えます。
2017年の兄弟と刑事の話は1980年の家族の話と無関係なようで実は1本の線で繋がっているのです。
ループ空間という極限の状態に追い込まれて剥き出しとなる人間の業の深さを丁寧に描いています。
ペットボトルへ排泄や年老いたロベルトとサンドラの肉体関係などの過激な描写はあくまで表面的なものに過ぎません。
それら散りばめられた数々の要素がラストで綺麗に収束し、そしてまた次へ繋がっていく構造です。
本作のややトリッキーな形で描かれる人生が何を受け手に伝えてくれるのかを見ていきましょう。
2017年と1980年の話の意味
本作は基本的に2017年の非常階段の話と1980年の家族の話の2本軸で成り立っています。
両者はそれぞれ果たして何を表わしているのか、その意味を読み解いていきましょう。
ダニエル=マルコ刑事の人生
まず全体の構造として2つの話が少年ダニエル=マルコ刑事の話として繋がっています。
即ち、2017年の無限ループのお話は何と1980年に起こった無限ループの後のお話だったのです。
そう、交互に話が繰り返されるために難解そうですが、あくまでも核はダニエルの人生でした。
他の登場人物は全てそのダニエルの無限ループ人生で偶然出会って一緒になったに過ぎません。
その中には「生老病死」という人生のエッセンスがそれぞれに凝縮されているのです。
だからこそそれぞれの無限ループの最後は”死”によって終わる形となります。
何故ならば人生の最終地点は「死」であり、何もそこには残らないからです。
家族の崩壊と喪失
まずダニエルが1980年のループで経験したことは家族の崩壊と喪失です。
ダニエルはこの段階だと黙って何もせず見ていることしか出来ません。
家族において彼のヒエラルキーが最低であることを意味しています。
しかし、そんな彼が最後に義父ロベルトが実はループ経験者だと知るのです。
ダニエルはロベルトから次のループへ向かうバトンを手にし、ロベルトの二の舞を演じます。
終わりなき労働
2017年における2度目の非常階段のループは終わりなき労働を意味しています。
非常階段を無限に織り続けるのは皮肉を込めた大人の仕事のメタファーではないでしょうか。