とても劣勢からの大逆転と思えない程ラストでイェーガーは部下達を失います。
それでも彼は自分1人でもナチス・ドイツの代表として最後まで戦う決意を見せました。
その気迫と正々堂々とした立ち居振る舞いがイヴシュキンの心に響いたのでしょう。
敵ながら天晴という尊敬の念の現われとして、あの握手が描かれているのです。
命乞いをしなかった
2つ目にイェーガー大佐は銃を突きつけられても尚命乞いを一切しませんでした。
上司としては様々な問題点を孕んでいたイェーガーですが、1兵士としての姿勢は立派です。
普通は部下を失い動揺したり狼狽えたりするのですが、彼にはそれがありません。
1度覚悟を決めたからには保身も取り繕いも媚びもなく、ただ生きるか死ぬかだけです。
その潔さこそが同じ兵士として気高く美しいものだと映ったのではないでしょうか。
最後の最後まで見苦しい所は一切見せないライバルの鑑というべき男の中の男です。
悲壮感よりも爽快感
そして3つ目に悲壮感よりも爽快感を優先する脚本・演出意図によるものだからです。
戦争映画の大変さは、どうしても「殺し」の重さを描かないといけない所にあります。
それが作品のテーマを深くしたり、逆に複雑にしてしまったりもする要因となるのです。
本作ではそこで殺しの悲壮感より前向きな爽快感を優先したのではないでしょうか。
戦争映画でドラマ性もありながら、余りリアリズムに重点を置いてないのもそういう理由です。
その現われとして敵でありながら健闘を称える描写へ持っていったものと推測されます。
戦車バトル
さて、本作の爽快感を何より際立たせているのは何よりも戦車バトルではないでしょうか。
戦争映画の中で未だかつて戦車のアクションをがっつり描いた作品は中々ありません。
何故なのかというと、絵の表現として戦車というのはどうしても地味に映るからです。
また、昨今はCGによってその辺の絵を誤魔化すことが出来るというのもあります。
そんな中で敢えてCGを使わず本物の戦車を用いてスローモーションと爆発音で見せる職人芸が大きいでしょう。
古式ゆかしい純粋な火薬と合成を用いた特撮による徹底した戦車バトルへのこだわりこそ本作の真骨頂です。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は戦争映画として見ると、近年の作品には珍しいシンプルな娯楽作品です。
人質解放なんて小難しいドラマも最低限にし、只管バトルに重点を置いています。
逆にいえばそれだけリアリズムやテーマの重い作品が多くなっている証左でもありましょう。
そんな中で本作はどこまで娯楽としての戦争映画を作れるかに挑戦・成功した作品です。
それと同時に映画とは本来人々を楽しませる娯楽であるという基本も教えてくれました。
面白ければ映画に絶対の正解はないという基本に立ち返ることが出来る名作ではないでしょうか。