スキャンダルで取り上げられる恋愛はどこか後ろめたさや不義理、非合法さがあります。
しかしニコライとマチルダの愛には障害こそあれど決してそういう不純さはありません。
弱さ・情けなさとして描かれるニコライの葛藤も真剣に向き合っているからこそ生じたものです。
拷問に耐えるのはニコライにとってこの愛がスキャンダルではないという無言の戦いでした。
酷いのは周囲
2つ目にニコライはこの拷問に耐えることで酷いのは寧ろ周囲であると示したかったからです。
マチルダを一方的にストーキングしていたヴァロンツォフ大尉やニコライを皇帝にしたがる皇后たち。
そういう周囲の謀略によって外堀から埋められていくことがニコライは何より怖かったのでしょう。
だからこそラストシーンに至るまで彼は1度も王冠を手にすることに賛同しなかったのです。
周囲の期待と本人の望むものが決して同じではないことを示したかったことが窺えます。
芯の強さ
そして3つ目にここで示しているのがニコライの芯の強さにあるという演出意図です。
彼は自身の選択に葛藤はしても根本の部分でマチルダを愛していることに嘘偽りはありません。
意外と土壇場での肝は据わっていて、簡単に圧力や権力に屈したりしない人でした。
だからこそ数々の障害や謀略などがあっても尚ニコライは毅然と自分を保っていられるのでしょう。
しかしだからこそラストでマチルダとの愛を捨ててしまった結末が余計に切なく悲しく見えるのです。
1番怖いのは民意
こうして見ていくと、本作ではニコライ2世が聖人ではなく聖人に「されてしまった人」になります。
ここから分かることとして、世の中で1番怖いのは王家を初めとする周囲の期待=民意ではないでしょうか。
ニコライ2世は王家を初めとする周囲の期待やその背後にある群衆心理に負けた形となったのです。
彼にとって王冠を手にすることは名誉でも何でもなく似合わない衣装を着せられているだけでした。
そしてニコライを一家共々全滅へ追いやったのもまた民意が彼に牙を向けた結果でした。
人の上に立つ者はそうした民意の恐ろしさを覚悟の上で期待を背負わないといけないのです。
そう考えると、マチルダとの禁断の恋が果たして間違いだったと断じることは誰にも出来ません。
真の偉人は表舞台に立たない
ニコライとマチルダの愛は実話でありながら、1つの真実を伝えてくれています。
それは真の偉人は表舞台に立たない、即ち世俗と隔絶したところでひっそり生きているということです。
なぜなら表舞台に立って周囲の期待を背負うと本来の自分を偽った生き方になるからでしょう。
ニコライとマチルダは正に表舞台に立ったばかりに周囲の目線に晒され嫉妬故に妨害されます。
人間は自分にない才能や凄まじい力を持つ者が居るとそれを戦略として利用しようとするのです。
もし2人とも表舞台に立つことがなかったらもっと自由に生きられたかもしれません。
「公」と「私」は常に相容れないものであることを改めて教えられた傑作ではないでしょうか。