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映画『マチルダ 禁断の恋』は日本で2018年に公開された歴史の実話を基にしたロマンス映画です。

監督はアレクセイ・ウチーチェリ、主演をラース・アイディンガーとミハリーナ・オルシャンスカが務めました。

ロシアの歴史において禁忌とされるロシア皇帝とマチルダ・クシェシンスカヤの恋を大々的に扱っています。

国全体を巻き込んで賛否両論となり1度は上映禁止となった程様々な論争を生んだことでも有名です。

逆にいえば論争を生むだけの訴求力を作品として兼ね備えており、完成度は非常に高いでしょう。

ニコライとマチルダ、そしてアレクサンドルの3者の関係性が本作全体を通した見所となっています。

本稿ではニコライ2世がラストで自ら王冠を被った意味をネタバレ込みで考察していきましょう。

また、生き延びたマチルダが伝えたことやニコライが拷問されても口を割らなかった理由も読み解きます。

偉人もまた人間である

勇気をくれる日本史 誰も知らない偉人伝 (角川文庫)

賛否両論の末に上映禁止となった本作ですが、なぜこのような騒動が起こったのでしょうか?

それは恐らく芸能人のスキャンダルと同レベルの騒ぎ方だったからかと推測されます。

歴史に残る偉人が浮気・不倫に近い恋をしたなどあってはならないという群衆心理でしょう。

しかし、それは表面的な見方でしかなく、どんな歴史の偉人だって所詮は1人の人間なのです。

例えばエジソンは電気の発明者と評される偉人ですが、裏の顔はとんだ金の亡者でもありました。

それに比べればニコライ2世はまだ、王の後継者とマチルダとの恋で葛藤する程感性は真っ当な人です。

本作が炙り出しにした「皇帝」ではなく「人間」「」としてのニコライ2世を見ていきましょう。

自ら王冠を被った意味

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ニコライ2世は劇中全体を通して割と迷いや悩みの多き人物として描かれていました。

そんな彼が被ることを渋った王冠を最後は自由意志で被る決意をしたのです。

ここではその意味を考察していきましょう。

マチルダが死んだと思ったから

ペテルブルグのバレリーナ―クシェシンスカヤの回想録

まず1つ目にいえるのはニコライは最後まで極力皇帝の跡継ぎになろうとはしなかったことです。

彼はあくまでも本心の部分であるマチルダとの恋という「」に生きようとしていました。

それが周囲の思惑でマチルダが死んだことにされたから仕方なく「」を優先したのです。

この辺りが聖人と評されたニコライ2世の裏の顔として描かれている本作独自の解釈でしょう。

だからこそ本当に直前まで決して王冠を被ることを渋り、首を縦に振ろうとはしませんでした。

不幸の始まり

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しかし、この王冠を被って即位することが決して物語として肯定されたわけではありません。

マチルダが死んだものと思ったニコライは生きて現われた彼女を見て卒倒し意識を失いました。

仕切り直した後で今度は民衆が将棋倒しになるという大惨事に見舞われるわけです。

そう、ニコライが王冠を手にしアレクサンドルと結婚することは不幸の始まりでした。