そう、同じ家族でありながらも拓也はあくまで拓也であり徹でも愛子でもありません。
拓也の人生はあくまで自分で切り拓かねばならず、親と考えや生き方が違うのは当然です。
下手な忠告をすればその思いが不完全燃焼に終わってしまうと踏んだのでしょう。
両親に出来ることはあくまでも拓也の背中を押してあげることなのです。
優しさと厳しさ
2つ目に、この知らない振りが優しさであると同時に厳しさでもあると示しているからです。
拓也の自主性に任せるのは即ち拓也が自分で全ての責任を負うということでもあります。
いわゆる「いつまでもあると思うな親と金」という諺の体現でもあるでしょう。
両親は口出しこそしませんが、かといって手取り足取り支えるようなこともしません。
そんなことをすれば只の過保護でしかなく、自立心が育たないからです。
両親の優しさとは決して「甘さ」ではなく、厳しさもその裏に隠されています。
明日香の助力
3つ目に、幼馴染の明日香の助力もまた大きく影響していたからではないでしょうか。
両親が見て見ぬ振りをしたままだと、物語として拓也の我が儘を肯定しかねません。
そこで本作は幼馴染の明日香が両親に代わって厳しめの忠告を行うのです。
こうすることで本作は上手くバランスを取り、ギリギリの所で拓也を甘やかしていません。
明日香が容赦なく「負け犬は拓也の方」と言ってくれるから、この構造が成立するのです。
失敗・挫折も人生の1部
本作は拓也の家族と明日香を通して失敗・挫折も人生の1部と肯定してくれています。
確かに拓也の人生は結果として挫折だらけですが、それは決して無駄な経験にはなりません。
失敗があったからこそ、拓也は最後に普通は気付かない両親の愛に気付いたのですから。
それに、拓也は最終的に挫折して諦めることになっても中途半端なことは絶対にしません。
陸上にしても音楽にしても、やれることは全部やってけじめをつける折り目正しさがあります。
これこそ、本作が単なる夢見がちな若者の若さ故の過ちに終始していない所以でしょう。
家族愛が希薄な現代へ
本作は原作のパラパラ漫画も含め、ストレートな家族愛が逆に共感を呼びました。
見方を変えれば、それは現代において家族愛が希薄化している証でもありましょう。
平気で子供を虐待する親や精神的に子供を締め付ける毒親など家族の問題は深刻です。
そんな中で、決して説教臭くない形で「家族とは何か?」を見事に描いた名作でしょう。
両親が子供にしてあげるべきこととは口酸っぱく説教することでしょうか?
子供には子供の人生があり、それを縛ったり奪ったりする権利は誰にもありません。
拓也の両親のように広く深い愛をもって後ろからそっと見守る親でありたいものです。