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【フォーリング・ダウン】はさほど珍しくない普通の一般市民が、ふとした切っ掛けでテロリスト的な存在に堕ちていってしまう問題作です。
彼の行動には理不尽で不条理な現代社会に生きる我々に、一種の爽快さをもたらす側面があることが否定できません。
彼をこのような行動に走らせた本質的な要因は何なのでしょうか。
そこには現代アメリカ社会が抱える様々な課題が浮かび上がってきます。
ウィリアムと同様に多くの理不尽な環境を背負っているプレンダガストとの比較についても考察してみましょう。
突然韓国人の店で暴れ出したウィリアム
電話を掛けるための小銭が欲しかっただけのウィリアムが偶然入った韓国人の店で暴れ出した理由から見てみましょう。
ウィリアム韓国人の店で暴行に及んだのは、そもそも彼の性格が異常だったのでしょうか。
それとも彼を暴力に走らせた何か別の要因があったのでしょうか。
ウィリアムの行動の必然性
彼の韓国人店主に対する意識に何か異常なものがあったとは考えられません。
誰しも両替を理不尽に断られ、釣り銭をもらうために買おうとしたコーラーに法外な値段をふっかけられれば怒ることでしょう。
実はこの時彼の精神状態は通常ではなかったのです。元妻とのあれこれや仕事を首になったことなどが心の中に渦巻いていました。
これに道路の渋滞や車のエアコン・ウィンドウの故障、しつこくまとわりつくハエの不快感が加わりました。
彼の精神状態はあと一滴で水があふれてしまうコップのような状態だったのです。
もちろんだからといって、バットを振り回して店のものを壊す行為はいただけません。
韓国人店主のいい分
韓国人の店主はなぜ通常の両替を拒んだのでしょうか。
彼はコーラーだけでなく店の商品に法外な値段を付けていました。
店主は単に商売気を出しただけかもしれません。少しでも利益を稼ぎたいのは商売人の鉄則です。
嫌ならば買わなければいいのです。
ただそこには店と顧客の相互信頼のかけらもありません。本来小売店は地域や顧客に寄り添うものです。
顧客に必要とされ、信頼されて始めて存在意義があるのです。
ウィリアムが知っているかつてのアメリカの小売店はそのような姿だったのでしょう。
英語もままならない外国人の、利益優先だけで寛容性の全くない姿勢にウィリアムはぶち切れたのです。
自ら死を選択したウィリアム
追い詰められたウィリアムが最後に選んだのはプレンダガストに撃たれて海に落ちていくことでした。