しかし、彼は決して殺そうと思って殺したわけではありません。
ルーク殺しの罪を彼は一生背負って生きていく覚悟を決めたのです。
だからこそ、コナーを裏切り対立までしたのだということが推測されます。
少数派の理解者
2つ目に、そのような過去から少数派の理解者になろうという決意です。
セナンはきっとコナーのように多数派に反旗を翻そうとは思わなかったのでしょう。
確かにコナーもセナンも世間に差別・迫害されてきた痛みは抱えています。
しかし、世の中を構成し自分たちが生きていけるのはその世間のお陰です。
だからこそ、セナンはキリアンに寄り添うことでその役割を果たそうとしました。
アビーから厳しく糾弾されても折れない所がセナンの凄さでしょう。
人間とゾンビの架け橋
そして3つ目にセナンは人間とゾンビの架け橋になろうと決意したのでしょう。
ゾンビは確かに危険といえば危険ですが、どうにもならないわけではありません。
治療法も確立されており、救いの道はまだ残されているのです。
すなわち「和解」という希望の未来へ厚み始めたのではないでしょうか。
どんなに遠い道のりであっても、彼は成し遂げてしまう意志の強さがあります。
その最初のステップとして、キリアンを救い出してみせると決めたのです。
差別と革命
本作を通して改めて明らかになるのは「差別と革命」の歴史です。
ゾンビと人間の関係は本作によって新境地開拓に至りました。
本作の面白い所は多数派と少数派のどちらにも与していないことです。
一般人側には一般人側の、そしてレジスタンスにはレジスタンスの正義があります。
人の数だけ正義があり、その善し悪しは立場によって簡単に変わるのです。
革命の裏にあるのは差別ですが、それを暴力的手段で叶えるのは下策でしょう。
コナーとセナン、2人の対照的な生き様がそれを決定づけました。
ゾンビ映画、その先へ
いかがでしたでしょうか?
本作はゾンビ映画の歴史を検証しながら、その先を切り拓く作品となってくれました。
ゾンビが出てくることはもはや本作の世界では日常茶飯事なのです。
それは単純なホラー映画としてのゾンビが飽和状態になったことの裏返しでしょう。
それならば、今度はゾンビが当たり前に出てくる世界での人間ドラマが大事となります。
ゾンビ=悪という形式的なものではなく、もっとより複雑な内面の「差別」という悪。
本作はそれを浮き彫りにし、セナンとキリアンを通して1つの希望を見出すに至りました。
ゾンビ映画は大きな革命期に入ったことを確信させる新時代の傑作です。