出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B0107EKN82/?tag=cinema-notes-22
【愛のタリオ】は大人の男と女の愛憎劇です。
何処にでもありそうなチョットした浮気が恐ろしい復讐劇の連鎖を生みます。
地獄を見た女の恐ろしいまでの復讐劇は見応えがあります。
しかしながら、そこにはただの復讐劇ではなく女の一途な愛も見て取れます。
基本的に女性目線の作品に仕上がっています。
男性諸君は世の中に気軽な浮気などは存在しないことを肝に銘じるべきかも知れません。
男の身勝手で自己都合な愛が正当化されるのはドラマの中でもないのです。
最後に愛を告げた真意
ドクから角膜の提供を受けたハッキュは視力を回復し、湖畔のベンチに座るドクに愛を告げます。
普通の女性であれば「なんて手前勝手な」と考えるのが一般的です。
ハッキュの言葉に黙ったままのドクはどのような心境だったのでしょうか。
自分の娘に残酷な仕打ちをしたドクに対するハッキュの心はどのように整理されたのかも気になるところです。
ハッキュの告白は本心か
ハッキュのドクに対する愛は身勝手でした。彼は女性を愛し続けなくては生きていけない種類の男です。
その身勝手な愛は作家としての自分の栄養源だと信じ切っていました。
凡人の男ならば自分や娘にあれほどの復讐劇を演じた女性に対して、たとえ角膜の提供を受けたとしても、「愛してる」といえるでしょうか。
彼はドクに対して感謝ではなく愛を告げたのです。
彼のドクへの愛は復讐劇のプロセスの中で、出会った頃の浮気な愛から変質していました。
ドクの角膜を自分に移植したことも影響して、他人には理解できない二人の一体感が生まれた可能性があります。
もちろん長い間のドクの献身的な介護による依存関係も愛の変質に影響したことでしょう。
ドクはどのように受け止めたのか
ドクはハッキュを心から愛していました。心身ともに自分を地獄の底に落としたにもかかわらず、愛することを止めることはできなかったのです。
復讐劇も愛するが故の行為でした。
ドクは復讐とはいえ、視力が弱ったハッキを献身的に介護する喜びを感じていました。
ドクは愛する人に自分の角膜を提供でき、その人から「愛してる」といわれて喜びに震えたはずです。
それぞれの愛の形
人は愛されることよりも愛することの方が喜びが大きいといいます。ハッキュもドクもそれを知っていました。
【愛のタリオ】の物語はそんな二人を中心とした愛の物語です。
ただ男の愛し方と女の愛し方はその形が違います。ハッキュとドクの二人もそうでした。
ハッキュ
ハッキュが女性を愛する時は全力で愛します。彼は理屈としても感情としてもそのような男です。