怪我の完治を告白していじめられなくなっても、今度は由紀がいじめに遭います。
いじめとは自分1人が乗り切れば解決出来るような簡単な問題ではありません。
それならば、足が悪い振りをしてやられる側にいた方が無難に乗り切れます。
敦子は敦子なりに自分に出来ることを考えてこの作戦を取ったのではないでしょうか。
海に入る意味
本作で象徴的なのは「海」に飛び込む描写が何度も入るということです。
想像力を掻き立てられる画ですが、これを反復して行う意味は何なのでしょうか?
海=死に場所
まず分かりやすいレトリックとして、海は死に場所のメタファーなのです。
本作において「水」はいわゆる「三途の川」のような恐怖の象徴として用いられます。
これは原作では表現しきれない映画ならではの表現ではないでしょうか。
また、季節を夏にフォーカスしているというところもポイントです。
夏休み中の盆休みは水難事故が多発することから海に行かないのが常識になっています。
そのことも含めて尚更海が死に場所の象徴として機能しているのです。
潜在意識と顕在意識
2つ目に、海に浮かぶ由紀の姿は彼女自身の潜在意識と顕在意識を表わしています。
すなわち表に浮かぶ顔と胸が顕在意識であり、後の沈んだ体は潜在意識です。
そう、由紀は潜在意識のレベルで「死」を思いながら、顕在意識は「生」に向いています。
それ位彼女の意識は極めて不安定な所にいるわけであり、海に導かれているのでしょう。
死ぬことばかり思考し続けた結果がこの現実を引き寄せています。
負の連鎖
そして3つ目に、由紀をはじめ周囲の人たちが負の連鎖に陥ることを意味しています。
由紀の意識が「死」について考え始めると、現実がどんどんよくない方向に変わるのです。
普通なら知らない筈の援助交際であったり、自殺であったりといったことに出くわします。
それが由紀だけならまだしも、敦子や紫織などを媒介にどんどん広がっていくのです。
そうして出来上がった負の連鎖は留まるところを知らず、海のような広さになります。
そう、本作において1番怖いことはその膨れ上がった民意にあるのです。
父親を刺した理由
そんな死への意識がどんどん連鎖していった結果、終盤ではどんどん悲劇が起こります。
その1つが敦子がボランティアとして行った先で起こった昴と孝雄の刺殺未遂です。
ここでは息子が父親を刺した理由を考察していきましょう。
逆恨み
簡単にいってしまえば、父親を刺した理由は単なる逆恨みでしかありません。
昴は母を苦労させてしまう原因を作ってしまった父を一方的に恨んでいるのです。
父は実際には何の罪もなく、ただ電車の痴漢冤罪で社会的弱者にされてしまいました。