それをありったけ使って、フローレンスに嫌がらせしようとしたのです。
その方法が、フローレンスの思い通りのことをさせない、ということでした。
文化センター設立後の未来
文化センター設立を提案するガマート夫人。設立後には、何を望んでいたのでしょう。
本作の舞台はイギリスの海沿いの田舎町。その田舎町をイギリスの文化発信の地にすれば、当然その恩恵を最も受けるのはガマート夫婦です。
文化センターが有名になれば、イギリス中の文化人や政界人がやってくる可能性があります。
そうなれば、ガマート夫人はより大きな権力とのコネクションを築くことができるのです。
独占欲や支配欲の強い夫人であれば、当然ここまで考えて文化センターを建設することを提案したと考えられます。
その計画に少しでもゆがみを与えるフローレンスを許せないのです。
美と汚の対比
映画における、善と悪、美と汚の対比によって、主人公(善や汚)が引き立ちます。
それは映画だけでなく、現実世界にも存在するものであり、より映画をリアルに近づけるための材料です。
ガマート夫人自身や立場はこの「汚」にあたる存在として描かれました。
田舎の美と政治の汚
イギリスの田舎は美しいということで世界に認知されています。『ピーターラビット』などは良い例です。
まだ昔の雰囲気の残る、第二次世界大戦後のイギリスの田舎は、まさに私たちが認知しやすい田舎の美を持っています。
しかし美しい田舎であっても「滅ぼす者と滅ぼされる者」がいるように、「美」と「汚」は存在するのです。
それが田舎の「美」と政治的な「汚」であり、町の有力者ガマート夫人は「汚」の立場を示しています。
ガマート夫人の汚
ガマート夫人の独占欲や支配欲は、人間的な「汚」に当たる部分として本作では描かれていました。
人間としては当たり前の欲望ですが、フローレンスという人間性の前では、その「汚」が際立ちます。
ガマート夫人が、フローレンスに嫌がらせをすればするほど、フローレンスの美が浮き彫りになるのです。
オールドハウスにこだわり続けることで、ラストのクリスティーンが書店を燃やす場面が、観客にとっての快感情につながります。
だからこそ、製作の過程でガマート夫人がオールドハウスにこだわるよう描いたのです。
クリスティーンの放火とガマート夫人の欲
明らかにクリスティーンの放火の方が、行為としては悪なのに、それまでのガマート夫人の行動がそう見えさせません。
そこに『マイ・ブックショップ』の面白さの1つがあります。
本作は舞台が書店であることから、ミステリアスな雰囲気も感じられ、より深い考察ができそうです。
作中に出てくる『ロリータ』にも、注目すると違った作品の関連性が出てくるかもしれません。
ブッカー賞を受賞したペネロピ・フィッツジェラルドの原作を、掘り下げても面白い発見や違いがあるはずです。