また自分のテレパスについても知っていて相談に乗ってもらえると思ったのかもしれません。
相談できるのは木絵だけ
茂子は友達である純にも、能力のことは話しておらず孤独を感じていたはずです。
同性で恋の悩みを話せるのは、木絵だけだったのでしょう。
また兄同様に木絵の人柄に惹かれていたのかもしれません。
呑みに誘う前から、家族になって欲しいと感じていたはずです。
木絵はなぜ茂子に付き合った
大切なパーティをさぼってでも茂子の元にいった木絵ですが、そこには二つの理由が隠されています。
一つ目は、茂子のことが心配だったからでしょう。
自分を頼りにしてくれた茂子を放っておけなかったのです。
そして二つ目は、下記のセリフが物語るようにパーティにいくのが怖かったのです。
来るのが怖かった
来て何か失敗したら、また何か考えて騒ぎになって…
引用:高台家の人々/配給会社:東宝
茂子も木絵もお互いを必要としていたといえるのではないでしょうか。
言葉にする大切さ
本作はテレパスという能力を描いていますが、本質は言葉の大切さを描いているように感じます。
父の言葉
普通は相手が何を考えているのかわからなくて、だからたくさん話す
引用:高台家の人々/配給会社:東宝
心を読めなくなった光正は言葉の大切さに気がついています。
最後のシーンでは、父親が光正と和正に強い言葉を残しました。
もう一度向き合え
一度だけ絶対に諦めない、そう思ったことがある
引用:高台家の人々/配給会社:東宝
劇中で光正たちは両親の心を読むシーンはありませんでした。
父親茂正Jr.も母由布子も、真っすぐな言葉で子供たちに接していたことが伝わります。
茂子の決心
言葉にして伝えます
好きになった人を諦めたくないから
引用:高台家の人々/配給会社:東宝
茂子は人の心を読むことで、相手と付き合ってきたのでしょう。
人の心を先に読み、自分が傷つかないように生きています。
しかし兄や木絵の姿を見て、自分の言葉の大切さを実感したのでしょう。
向き合うことを描いた物語
監督土方政人は、地味な主人公をとても魅力的に描いていました。
彼女の持つ素直さや優しさを前面に出した演出が、そうさせたのでしょう。
心を隠すことや心を開くことは、現代社会において問題視される事でもあります。
この映画は、人と向き合うということを改めて考えさせられる作品です。
もし自分がテレパスだったら…もし自分が木絵だったら、と想像して観ると面白さが広がるのではないでしょうか。