ここでは『母の記憶に』という作品とファビエンヌの関係に隠された意味を考察していきます。
寂しさ
『母の記憶に』は、ケンリュウ作の実在するSF短編小説が原作です。
不治の病におかされた母親が、娘を残して宇宙に移り住むという内容になっています。
ファビエンヌはこの作品において、80歳となった娘・エイミーを演じました。
母親と娘が一緒にいられる時間には限りがあり、幼い頃から度々大好きな母親と離ればなれになっています。
エイミーは母からの愛情に飢えており、80歳になって母親と再開した時に、自身が抱える寂しさを吐露していました。
エイミーを演じるファビエンヌも、母親を7歳の頃に亡くしており、幼い頃から寂しさを感じていたことでしょう。
ここから考えると、エイミーという役はファビエンヌ自身が持つありとあらゆる寂しさを体現したものといえます。
母親としての一面
『母の記憶に』に登場したエイミーの母親は、ファビエンヌの母親としての一面を表しているとも考えられます。
時々家族のもとに戻っては、寂しさを訴える娘をなだめて宇宙に帰ってしまうエイミーの母親。
その姿は、女優の仕事に熱中して娘のリュミールの気持ちを考えようとしなかったファビエンヌに似ています。
女優であり母親でもあるファビエンヌ。
マノンが演じるエイミーの母親に自分を、エイミーという役にリュミールを重ねて見ていたと考えられるでしょう。
サラの服をプレゼントした意味とは?
ファビエンヌにとってライバルであり憧れでもあったサラ。
そのサラが気に入っていたワンピースを、これまで拒絶し続けていた女優であるマノンにプレゼントしています。
なぜ自分が嫌っていた女優であるマノンに、サラの形見ともいえるワンピースをプレゼントしたのでしょう。
ここでは、ファビエンヌがマノンにサラの服をプレゼントした理由について考察していきます。
マノンを女優として認めた証拠
マノンという女優は高い演技力を持つことから、サラの再来と注目されていました。
ファビエンヌは、マノンがサラと同じように評価されることに納得がいかず、マノンを避けていました。
しかし撮影のなかでマノンの人柄と演技に触れ、自分とは違うマノンの演技への向かい方を感じ取ります。
撮影後には、サラと同じように見られることに対してマノンがコンプレックスを感じていたことに気付いたのです。
このような経緯を経た後に、ファビエンヌはマノンにサラの服を贈っています。
ここから考えるとファビエンヌは、マノンを「サラの再来」と呼ぶに相応しい女優だと認め、服を贈ったのでしょう。
サラという存在からの解放
サラの服は、ファビエンヌがマノンにプレゼントするまでは自宅の戸棚の奥で大切に仕舞われていました。
そしてファビエンヌは、寂しさや演技に対する不安を感じた際に取り出して眺めています。
ここから考えると、ファビエンヌは生前のサラの姿や生き様に縛られていたと考えられるでしょう。
「サラならこの時どうしたのか」「サラであればどのように演じたのか」などを無意識のうちに考えていたといえます。
その後、女優としての在り方や役柄とあらためて向き合い、役への入り方に気づいたファビエンヌ。
マノンにサラの服を贈ることで、これまで抱えてきたサラの面影やコンプレックスを断ち切ろうとしたのでしょう。
まとめ
フランスを代表する有名女優とその娘の間に生まれた心の影を、記憶や演技を通して描いた作品『真実』。
是枝裕和監督による独特のユーモアや、表情を通した繊細な演出などもたっぷり含まれています。
作品に登場した『母の記憶に』の原作を読んでから観ると、より登場人物達の細かい心理描写を楽しめることでしょう。