善次郎の思いとは裏腹に、集落の相談役との言葉のすれ違いが発端で、村八分という精神的に厳しい状況が生まれます。
保守的な集落の人々には、善次郎の考えが伝わらなかったのでしょうか。
やがて行政を巻き込んだ実力行使に変わった時、精神的な孤立感が崩壊し見境のない悲しい事件に発展しました。
波風絶たない穏やかな暮らしを望む集落の人々にとっては、村おこしという斬新的なアイディアが疎ましかったのです。
新しい思想を嫌う平穏な環境を楽園とすると、村人たちの行動も楽園の裏側に潜む恐怖といえます。
豪士はなぜ焼身自殺を図ったのか
行き場を失った豪士の精神は破壊され、焼身自殺という悲しい結末を迎えます。
集落の人々と豪士の心情をさぐってみました。
行き場のない心の闇
豪士を幼女誘拐事件の犯人として疑わない集落の人々の集団心理が豪士を追い詰めました。
積もりに積もったストレスが爆発した時、豪士は自傷行為に走ります。善次郎とは反対の衝動です。
集団から孤立した豪士の心の傷の痛みは想像を絶するものだったのでしょう。
難民から帰化した親子には、以前から日本人に対する引け目や劣等感があったようです。
豪士を追い詰めた村人たちを責めることができるのでしょうか。彼らも平穏な生活を望んでいたのです。
怖いのは、焼身自殺した豪士のことを知った村人たちが、ショックや悲しみの表情を見せなかったことです。
豪士に救われた人々
村人たちは、豪士の自殺によって忌まわしい誘拐事件に決着をつけました。ある意味彼らは豪士に救われたのです。
紡はどうなのでしょう。劇中では紡も救われた人のひとりだと言われますが、彼女の中には違った感情がありました。
自分が生きていることに罪悪感を感じていたのです。
事件当日、誘拐された愛華との間のささいな行き違いを、誰にも言えない辛さから心を閉ざしていました。
豪士が真犯人なら、自分も共犯者のひとりだと自責の念に苦しんでいたのでしょうか。
豪士の焼身自殺は紡にとって他人ごとではありませんでした。紡自身は決して救われていなかったと思われます。
誰が真犯人かは問題ではない
この映画は犯罪ミステリーではなく、人間の醜い部分にスポットを当てた心理サスペンスといえます。
誘拐事件の真犯人が誰であるかは、論点の核心ではなかったようです。
描きたかったのは人間の奥底に眠る醜さ
村の人々の心の奥の残忍さは、ひょっとすると誰の心にも潜んでいるかもしれません。
自分以外に迫害が及ぶだけなら黙っていようと考えることは誰しもあることです。
きれいごとだけでは生きていけないと自分を正当化することもあります。
このドラマは、人間が持っている心の奥の醜さを真正面から描いているのです。