さてこの本の出所が気になるところです。なぜこの本はここにあったのでしょうか。二つの可能性を探ってみましょう。
本棚にあった理由
最も可能性が高いのは朔が子供の頃親に買ってもらったものを大事に本棚にしまっていたというものです。
それをたまたま修太が見つけたという設定が考えられます。
朔は修太が腕にしているおまけグッズの時計を見て、「覚えがある」といっていることからもそれが妥当な解釈です。
ただこれではあまりに安易な偶然になってしまいますので、別の可能性を探りたくなります。
もう一つの可能性
もう一つの可能性は修太をタイムトラベルに誘導するために誰かがこの本を意図的に置いたという考え方です。
それは朔だったかも知れませんし、場合によっては過去にタイムトラベルした修太自身だったかも知れません。
修太自身が未来の自分がタイムトラベルできるように置いたとする考え方は少し無理があるようです。
朔は長生きできそうもない自分を知っています。
このため未来の誰かが過去を変えてくれないかとかすかな希望を託して、意図的にこの本を置いた可能性を完全には否定できません。
プリズムの意味
この映画のタイトルにあるプリズムは物語の中でどのような意味を持っているのでしょうか。
プリズムは太陽光を分解する機能を持っています。
そもそも太陽光は異なる波長による様々な色の集合体です。様々な色が集まることによって無色透明に見えているだけなのです。
三人が子供の頃裏山から見た江ノ島にかかる虹も実はプリズム現象の一つで、太陽光が空気中の水滴の影響で七色に分解しています。
三人の個性
修太、朔、ミチルもそれぞれ波長の違う個性を持っています。
これらの個性が一緒になったときは太陽光のように透明でキラキラ光る輝きになっているのです。
この物語はプリズムという運命の働きによっては三人が三つの波長をもった色に分解され、別々の人生を送ることになることを示唆しています。
三人が子供の頃見た虹も将来の三人の運命を暗示しているのです。
幻想への誘い
プリズムを通してみた光は幻想的です。
この物語はタイムトラベルという「もしも」が醸し出すプリズムの光のような幻想の世界で奮闘する修太の姿を描いているともいえます。
プリズムという装置がなくなれば魔法は解け、三人はそれぞれの現実の世界に戻っていくのです。
タイムプリズナー
プリズナーは囚人のことですから、今日子は時の囚人ということになります。
さまよえるオランダ人のように時の狭間で彷徨っているのです。
今日子は修太に「自分のようになって欲しくない」といいました。
修太はプリズナーにならなかったのでしょうか。
今日子の場合
今日子がなぜタイムプリズナーになったのかは語られませんでした。