いがみ合い殺し合っている程の双方ですが、心を通わせることが出来たのです。
その姿はシャヒーダ―にとって希望を感じるものだった、といえます。
先の見えない紛争ですが、手を取り合うパキスタン人とインド人を見て未来に希望を見出したのかもしれません。
その為、縛られていた心が解放されたのではないでしょうか。
シャヒーダーはインドとパキスタンの未来の姿
シャヒーダーはおそらく、インドとパキスタンの仲が良くないことを理解していたはずです。
しかし、彼女の目には憎しみの色がありません。
きっと彼女の両親は、憎しみを子供に植え付けることはしなかったのでしょう。
インド人にも神を重んじる善良な人がいるさ、シャヒーダ―を守ってくれる
引用:バジュランギおじさんと、小さな迷子/配給会社: SPACEBOX
劇中の言葉は願いであり、両国の平和への道しるべでもあります。
敵国の優しさを信じているのです。
主役のサルマン・カーンは、この映画が両国の対立に終止符をうつことになるかもしれない、といっていました。
ラストシーンでシャヒーダーはイスラム教でありながらヒンドゥー教の神の名を口にしています。
他者を受け入れる彼女の姿は、両国の未来を示すものなのではないでしょうか。
パワンの本心
シャヒーダーの言葉を聞いたパワンは何を思ったのでしょう。
当初イスラームに難色を示していたパワンは、この2人旅をどんな思いで終えたのか考察していきましょう。
シャヒーダーの発した言葉の意味
ラーマ万歳(栄光あれ)
引用:バジュランギおじさんと、小さな迷子/配給会社: SPACEBOX
上記の言葉はヒンドゥー教徒の挨拶で使われる言葉です。
カビール・カーン監督はイスラーム教徒の彼女のセリフに、ヒンドゥー教の神を称える言葉を使ったのです。
現実社会では、おそらく絶対にありえない言葉といえるでしょう。
しかし、劇中でシャヒーダーは臆することなくその言葉を口にしました。
婚約者の本当の強さを感じた
劇中でパワンはヒンドゥー至上主義の家庭に育ったことがわかる描写があります。
ヒンドゥー至上主義はイスラーム教への反発も大きく、時に暴力的になるほどの嫌悪感を抱いています。
パワンは実際にシャヒーダーがイスラーム教であることが分かった時、動揺を隠せませんでした。
異教徒だの何だのバカなことを気にしないで
引用:バジュランギおじさんと、小さな迷子/配給会社: SPACEBOX
上記は婚約者ラスィカーのセリフです。
少女の言葉を受けた時、彼は婚約者ラスィカーの言葉を思い出していたのではないでしょうか。
そして彼女の本当の強さを感じていたのかもしれません。
少女の器の大きさを感じた
これまでの概念を覆すシャヒーダーのセリフは、憎みという見えない鎖につながれていたパワンの心を打ち砕いたことでしょう。
憎むべき敵国の神の名を受け入れた、そんな少女の器の大きさを感じたのではないでしょうか。