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【ジョン・F・ドノヴァンの死と生】は監督であるグザヴィエ・ドランの幼少期の記憶も盛り込まれた作品です。
俳優が持たざるを得ない演じ続ける自分と現実の自分との葛藤や、わかり合えない母と子の確執などが主なテーマになっています。
ラストシーンは意味深です。何事もないようにパートナーとバイクに乗り込むルパートはオードリーと目で語り合いました。
若手俳優と小学生の子供との文通という、普通では考えにくい形がなぜ生まれ継続したのでしょうか。
ラストシーンの意味するところと併せて考察してみましょう。
ラストシーンは何を語っているか
幼い頃のルパートはジョンに心酔していました。主演の連続TVドラマは欠かず見ますし、部屋中は彼のポスターで一杯でした。
ルパートも子役としてジョンと同様俳優の道を歩んでいましたし、母親との葛藤があることもジョンと同じだったのです。
でもドラマのラストシーンは決してルパートがジョンをなぞった人生を歩まなかったことを表しています。
ルパートの生き方
成人したルパートは同性のパートナーがいることを隠しません。自分が愛するものに正直であろうとする生き方を選びました。
ジョンには決し出来なかった生き方です。ルパートはジョンの苦悩を理解し、別の道を歩むことを選択したのです。
別の見方をすれば、ルパートはジョンがそうしようとして出来なかった生き方を模索したともいえます。
ジョンの悲劇
ジョンの周りの人たちは俳優としてのジョンをイメージして付き合います。
彼は同性愛でしたが、皆がそのように見たいであろう虚構の自分を維持するためには、その関係を秘匿するしかありませんでした。
母親や家族ともしっくりした関係を構築できません。
彼は自分の生をリアルに生きているという実感が乏しかったのではないでしょうか。
彼は画面の中のジョンであり続けることも出来ず、皆の期待を裏切って真実の自分を見せることも出来ず、人生の袋小路に入っていました。
ラストシーンは同じ同性愛者で、しかも同じ俳優であるという環境下においても自分の生をリアルに生きる道があることを示しています。
オードリーは何を感じとったのか
オードリーはルパートと同性のパートナーを見て最初驚き、やがて納得顔で席を離れます。
ルパートもジョンと同じ同性愛者だったのです。でもそれは決して意外なことではないことにやがて彼女は気づいたのです。
インタビューでジョンの苦悩を理解した彼女にとって、ルパートがバイクの後ろでパートナーの背で安らぐ姿は微笑ましく映りました。
彼女はジョンと同じ悲劇を繰り返さないルパートにエールを送ったのではないでしょうか。
ジョンはなぜルパートを選んだのか
それにしてもいい大人が幼い小学生との文通を欠かさず続けた理由は何だったのでしょうか。
そのようなことは普通誰も信用せず、明るみにでることはないと踏んでいたのかもしれません。
彼は苦しいときもうれしいときも、かすかな希望が見えたときもルパートに緑のインクで手紙を綴り続けました。
彼の行為はあたかも何かにすがるような振る舞いに見えます。ルパートに思いを伝えざるを得なかったわけを探ってみましょう。