爽やかな運動会の場面とは対照的に、映画は一抹の不安を残して終わりを迎えます。
果たして、将太はいつか霧島になってしまうのでしょうか。その可能性はありますが、霧島と将太では決定的に違う部分があります。
それは、霧島の両親が死亡しているのに対し将太の両親は生きているということです。
事件を通して反省した沢村。裁判員として、無実の人間を死刑にしてしまった妻の遥。
二人とも拭えぬ心の傷を負いましたが、だからこそこれからは強く支え合って生きていこうとするでしょう。
その家族の絆があれば、将太が間違った道に進むことはないと考えられます。
過ちを犯した人間は、それを反省することで成長し他人を思いやれるようになる。
それもまた、監督が伝えたいメッセージであると読み取ることができます。
沢村が屋上で犯人を逃した意図
物語の中盤、沢村は何故犯人を屋上で逃がしてしまったのでしょうか。
西野の死に動けなくなった
本来、被害者の親族ということで捜査から外されていた沢村。しかし、それに納得できるわけもなく後輩の西野に密かに協力を頼みます。
その西野が、カエル男によって屋上から落とされてしまいました。
予想もできなかったこの事態。沢村が激しいショックを受けるのは当然です。
沢村は犯人を逃がしたのではなく、ショックで動くことができなかったのです。
あまりの事態の急展開と、自分が協力を要請したために西野が犠牲になったという罪の意識から。
妻子の安否を知りたい
もしも、沢村に犯人を逃がす意図があったとすれば妻子の安否を知りたかったためです。
仮に、犯人をこの場で捉えることができても犯人が素直に二人の居場所を吐くかわからない。
目の前で、刑事を簡単に殺害するような人間んは普通の精神状態ではない。
妻子を探す方法があるとすれば、沢村に執着する犯人がその場に招き入れるしかない。
そのような判断があったものと推測できます。
橘がカエル男を殺した理由
警察に追われ、日光によりショック状態になったカエル男・霧島。姉の橘は何故弟をころしたのでしょうか。
弟を楽にしてやりたかった
橘は弟が常軌を逸した精神の持ち主であることを知っていました。
それでも、唯一の姉ということで世界で唯一霧島のことを思いやっていたと考えられます。
だからこそ、罪を犯し昏睡状態に陥った弟を楽にしてやりたかったのでしょう。
それが姉としてできる弟への最後の思いやり。
そのために、橘は霧島を殺しました。
弟がいらなくなった
その一方で、橘もまた霧島と同じように悪意に精神を苛まれていた可能性もあります。