父親ヒミコと沙織の心の中に分け入るとともに、母親についても見てみましょう。
父親の生き様
ヒミコはずいぶん苦しんで生きてきたことでしょう。彼は体が男として生まれながら、精神的な性は女だったからです。
世間がそのような彼を理解するはずもなく、彼は普通に女性と結婚して沙織という子供までもうけていました。
でも自分をごまかして生きることには限界はありました。彼は妻子とともに、それまでの自分の人生をも捨てることにしたのです。
彼はかつての妻とは新しい関係を確立していたのですが、娘の沙織のことが心に引っかかっていたのではないでしょうか。
死に直面しつつある今、彼女に伝えたいこともあったことでしょう。
父親からの連絡を拒否し続ける沙織を強引に老人ホームへ誘い出したのはヒミコを愛する春彦だったのでした。
沙織の中には父親の今を確認したい思いや、自分たちを捨てた恨みをぶつけたい意図もあったのかも知れません。
母親はなぜ卑弥呼を訪ねたのか
沙織の母親はなぜおしゃれして卑弥呼を訪ねていたのでしょうか。
老人ホームに掲げられていた卑弥呼を訪れた母親の写真に沙織が気づくことを父親であるヒミコはわかっていたのです。
きっと沙織の母親は時間をかけて夫であったヒミコの苦悩やその生き様を少しずつ理解していったに違いありません。
卑弥呼を訪れる彼女はかつての夫に会いに行くのではなく、同性としてのヒミコと心を通わそうとしていたのでしょう。
そこにはかつての夫であったヒミコに対する恨みは消えていたはずです。
そしてヒミコは老人ホームに掲げてあった写真に沙織が気づき、彼女が母親の本当の心を理解することを望んでいたのではないでしょうか。
母親が沙織に自分が卑弥呼を訪ねていたことを伝えなかったのは理解に難くありません。
自分自身が長い時間をかけて到達した理解を、若い娘に理解させることの難しさをわかっていたのです。
沙織の変化
最終的に沙織は父親を許したのではないでしょうか。
母親がヒミコを許していた事実を理解した今、「母親のために許さない」という理屈は意味を持たないからです。
老人ホームのゲイたちとの心の交流は、沙織が父親を許すために大きな役割を果たしました。
苦しみつつも自分の生き様に忠実であろうとする彼らの心は、生活をともにすることなくして理解し得なかったのです。
特に山崎がかつての仕事仲間に屈辱的な仕打ちを受ける事件は、沙織に決定的な影響を与えました。
春彦が沙織に惹かれたわけ
春彦の性的指向は男性です。普通に考えれば彼が女性である沙織に興味を持つことはあり得ません。
ではなぜ春彦は沙織に興味を持ち、体の関係まで持とうとしたのでしょうか。
それにはダンスホールにおける山崎とかつての同僚の事件も関係ありそうです。
心と体
春彦の行動を理解するためには心と体の関係や愛と欲望の関係を考える必要があります。
彼は「愛ではなくて欲望が重要だ」と言います。どのような形の欲望であってもそれに忠実でいたいのです。