舞台に一人で立った加代は、自身が音痴であることにコンプレックスを抱いていました。
「しのかよ」が事実上の解散となった以上、志乃は彼女が舞台に立たないと考えたのかもしれません。
しかし、加代は一人で舞台に立ち、歌った歌詞には「しのかよ」2人のコンプレックスに対する思いが感じられました。
コンプレックスに立ち向かう加代の姿を見た志乃は、自分が思っていたことを口に出そうと決意したのではないでしょうか。
作品が訴えたいこと
コンプレックスを持った少女2人の関わりを描いた『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』では、視聴者に何を訴えたいのでしょうか。
考えられる要素は2点です。
吃音の苦しみ
この作品は吃音症のような症状で苦しむ志乃が主人公の映画です。
最初の彼女の自己紹介は、端から見れば緊張で口が震えているように見えますし、周りから落ち着けと言われるのも無理はありません。
しかし、吃音を抑えるために緊張するなと言われても簡単にできることではありません。
なぜ発症してしまうのかは本人も分からないので、簡単に治せと言われても難しいです。
周りの人に吃音症の可能性を感じられる方への配慮を考えて欲しいと訴えているように考えられます。
誰にでも弱い部分はある
この作品では主人公の吃音で苦しむ志乃を初めに、音痴で苦しむ加代、そこに少し空気が読めず孤独な菊池が混じる物語です。
人にはそれぞれ弱みがあり、弱みを隠したり克服して生きています。
「マホウ」の歌詞にあるように、自身の弱みを隠そうとするのではなく、受け入れることが大事だと訴えているのではないでしょうか。
一度受け入れることで克服するための行動をしたり、周りの人に事前に伝えておくなどの選択肢が増えて生きやすくなります。
無理して意地を張る必要は無いとも訴えているのかもしれません。
まとめ
少女2人が前向きに弱みと立ち向かう『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』。
思春期の少女が吃音症や音痴で苦しみ、自分の弱みを受け入れて前向きに生きようとする物語です。
最後の志乃の告白は、吃音症に限らずコンプレックスを抱えている人は共感してしまう内容ではないでしょうか。
エンディングは3人別々に学校生活を送る形になりましたが、志乃と加代は成長したとも受け取れる表現でしょう。