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『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は、2018年に日本で公開された映画です。
題材は惡の華を書いた押見修造の同名タイトルの漫画が原作で、この映画は実写映画となります。
主人公は大島志乃、作中で症状は明かされていませんが、吃音症に近い症状を抱えた少女です。
症状に苦しむ彼女が、ミュージシャンを夢見る音痴の同級生・加代と出会い、2人で音楽グループを結成することから物語は始まります。
2人は文化祭でライブをすることを目標に練習しますが、同級生の菊池の加入で解散。
最終的に志乃と加代が、自身の弱みと向き合うのが物語の流れです。
こちらではラストに言葉を伝えられた理由、加代が一人でステージに上がった真意を主に考察していきます。
志乃の症状は、なぜ菊池を見て元に戻ってしまったのか
志乃は吃音症に近い症状に長期間悩まされていましたが、加代と関わっている内に症状は和らいでいました。
しかし、路上ライブで菊池と出会ってからは日常会話だけでなく歌う時も元の症状に戻ってしまいます。
彼女の症状は、なぜ彼を見てから元に戻ったのでしょうか。考えられる理由は2点です。
菊池は自分を笑う存在と認識しているから
1つ目は菊池に対する印象が彼女を笑う存在と見ているからです。
自身が抱える症状で苦しみ続けていた志乃は、昔から話す度に周囲から笑われていた可能性があります。
笑われていた本人からすると、周囲から笑われると自分は恥ずかしい存在だと思いがちです。
高校入学したての頃、志乃の自己紹介で笑い始めたのは菊池で、彼に釣られて周りも笑い出しました。
彼女はクラスで笑われるきっかけを作ったのは菊池だと判断し、彼を見ると調子が狂ってしまうと考えられないでしょうか。
志乃がリラックスできる環境が崩れたから
2つ目は志乃がリラックスしやすい環境が崩れたことにあると考えられます。
理由として親との会話ではあまり症状が見えず、加代とは関わっている内に和らいだ描写があったからです。
家族である母や友達になってくれた加代と過ごしている間はリラックスしやすく、普段よりも発音しやすかったのではないでしょうか。
加代が一人でステージに上がった真意
文化祭前に事実上の解散となった「しのかよ」。
志乃が抜けてしまっても、加代は「しのかよ」として一人で文化祭のステージに上がりました。
彼女はなぜ一人でステージに上がろうと考えたのでしょうか。考えられる理由は2点です。
志乃が来てくれることを信じていた
1つ目は志乃がステージに来てくれることを信じていたからです。
彼女がステージを見に来て、後述するオリジナル曲「マホウ」に込められた意味を伝えたいと思い、舞台に立ったのではないでしょうか。