彼女にはインディのような親子の絆やパートナーとの絆がなかったことが不幸でした。
彼女は聖杯よりも大事なものを持ち合わせていなかったのです。
ナチスが聖杯を求めたわけ
レイダースでもそうでしたが、このシリーズではナチスがいつもインディの前に立ちはだかって聖遺物を奪おうとします。
ナチスはこれを何に使おうとしていたのでしょうか。
恐らくナチスにとってはアークも聖杯もロケットや原子爆弾と同じなのではないでしょうか。
これらを武器として、戦力として使いたかったのです。愚かとしかいいようがありません。
物語では愚か者のナチスは必ず敗れます。
でも聖なる遺物はインディの意図に沿って博物館に展示されることはありません。
常に謎を残したまま何処かに紛れてしまったり、再度封印されてしまうのです。
これら聖なるものを手にするには、人類はまだ資格不十分といわれているようです。
永遠とは
この物語では永遠の命が一つのテーマになっています。
永遠の命を獲得した三騎士の一人は幸せだったのでしょうか。
一人だけ生き続けることの孤独は計り知れません。
ラスト近くで崩壊する遺跡の向こうで手を振る騎士は、やっと眠りにつける幸せを噛みしめていたのかも知れません。
永遠の命は幸せか
人がただ生き続けることにどれほどの意味があるのでしょうか。
一人だけ生き続けるということは思い出や未来に対する希望などを共有する他者がいないということです。
全能の神ならいざ知らず、生身の人間にとって永遠の命とは苦行以外の何物でもないのかも知れません。
聖杯を守り続ける騎士は自分の後継者にバトンを渡し、自分の命に終止符を打てることだけを希望に生きてきたことでしょう。
限りある命の意味
永遠とは神の領域です。人が決して立ち入ってはいけない領域なのかも知れません。
人は限りある命の中で大事な人との絆や命の尊さを噛みしめながら生きていくものなのでしょう。
命に限りがあるからこそ今を大事にすることが出来、幸せの意味も理解することが出来るのです。
親子の絆を描いた【インディ・ジョーンズ/最後の聖戦】
スピルバーグの描くインディ・ジョーンズシリーズには必ず神秘性が色濃く表現されています。
人間くさい欲望や虚栄心とは超越する神秘な力が描かれているのです。
シリーズ三作目の【インディ・ジョーンズ/最後の聖戦】ではこのような神秘性とともに親子の絆も重要なテーマとなっています。
家庭を顧みないように感じられた父親に対するインディの思いが胸を打つではありませんか。
母に対する思いから父親を恨む一方で、インディにはもう一度親子の絆を採り戻りたい思いもあったはずです。
聖杯を手にするという冒険の中でインディは改めて親子の絆を確認しました。