インシデントにおいては人的要素が決定的な役割を持ちます。いい方に転ぶ場合もありますし、逆の場合もあります。
もしこの航空機がハドソン川で大破し多くの人命が失われていたら、人災として機長の判断ミスが強く非難された可能性が高いのです。
人は機械には出来ない素晴らしい判断をすることもあるし、そうでないこともあります。
AIによる完全な自動オペレーションでない限りは、インシデントにおいては常に人的要素を念頭に置いて評価することが重要といえます。
NTSBによる追究
この作品ではNTSBの委員たちは非情な糾弾者と見られがちです。
彼らのサリーたちへの追究は理不尽だったのでしょうか。
あたかもヒーローを貶めることが目的だったかのような彼らの立ち位置を考察してみましょう。
なぜNTSBは機長のミスにこだわったのか
NTSBの彼らもインシデントにおける人的要素の存在を認識していました。
ハドソン川への着水を選択した機長の判断という人的要素の妥当性にこだわったことからそれは明らかです。
彼らは人的要素の重要性も理解していたし、真実を明らかにするという姿勢でも一貫していたといえます。
だからこそ、サリーが主張する人的要素の35秒を認めることに吝かではなかったのです。
NTSBは間違っていたのか
NTSBは危うく判断を誤るところでした。
最終的には客観的に事実を検証するという彼らの姿勢が正しい結論を導き出したのです。
NTSBは決してマスコミや世論に流されておざなりな調査をしたわけでもありません。
また、機長たちをバッシングする方向で議論を進めたのでもないのです。
勿論一歩間違うと不必要に機長たちを貶めてしまう危険性はありました。
これもまた一つの人的要素といえなくもありません。
機長の判断
この作品は機長であるサリーの心の葛藤を丁寧に描いています。
サリーは「自分の判断は本当に正しかったのか」を自分自身に問いかけ続けるのです。
彼は最終的に自分の判断を是としますが、それはどの時点だったのでしょうか。
ヒーローに祭り上げられる中で心の葛藤に揺れるサリーの内面に分け入ってみましょう。
自己の判断に対する迷い
勿論サリーはこのインシデントの現場でベストを尽くしてことに当たったと自分を信じようとしました。
でもその結果搭乗者に犠牲が出てしまっては意味がありません。
彼は生存者155名という報を聞くまで気が気ではなかったはずです。
彼はNTSBの委員から一つのエンジンには推力が残されており、空港への帰還が可能だったと指摘され心が揺れたことでしょう。
自分の機長としての経験と現場の状況から導き出した決断を信じつつも搭乗者の命を危険に晒した事実に彼の心は落ち着きませんでした。
サリーはコックピット内での会話再現テープを聴いて始めて自分たちの振るまいが間違ってなかったことを確信したのです。
奇跡は結果論か
彼のなし得た結果が奇跡と呼ばれるということは、それが如何に危険なアプローチだったかということを物語っています。