出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B0734F93TD/?tag=cinema-notes-22
映画【ゴースト・イン・ザ・シェル】の原作は日本の漫画『攻殻機動隊』です。
脳以外は全て機械化された、いわゆるサイボーグが実現した近未来を描いています。
物理的に脳だけ残っていればそれは人間と呼べるのでしょうか。
この近未来のテクノロジーは残された脳の記憶すらコントロールします。過去の記憶を持たない人間は人間性を維持できるのでしょうか。
派手なアクションシーンやCG技術に目を奪われがちなこの作品ですが、人間性とは一体何であるのかを我々に問いかける問題作でもあります。
ミラはなぜクゼの誘いを断ったのか
クゼが構築したネットワークの世界に、ギリギリの状態で誘われたミラがその誘いに背を向けた理由は何だったのでしょうか。
その時にミラはクゼがヒデオであり、自分が素子であったことをわかっていました。
二人はもともと恋人だったのですから、ミラがクゼの誘いにのったとしても不思議はなかったのです。
クゼの描いた世界やクゼの誘いを断ったミラの心の中に分け入ってみましょう。
クゼが描いた世界とは
クゼはヒデオだったとき、ハンカ社が中心となって進める人間のサイボーグ化に強い抵抗感を持っていました。
そのような社会全体に反発していたのです。また、それは素子だったかつてのミラも同様でした。
クゼは人間の脳を直接ネットワークに繋ぎ、一つの仮想現実社会を作ろうとしていたようです。
そこではおそらく物理的な存在はあまり意味を持たず、精神のみが仮想空間の中で存在するのでしょう。
ある意味人間のサイボーグ化よりも先進的な発想に基づくもので、もはや体という物理的な制約から解放された社会の姿といえます。
ミラにとってのよりどころ
ミラはこのクゼが描くネットワーク仮想現実社会を理解したうえで、それを拒否しました。
ミラは公安9課のエージェントとして生きる道を選んだのです。
彼女は何としても人間性を維持したかったのではないでしょうか。
強制的にサイボーグ化処置を受けさせられ、過去の記憶さえ失いかけていたミラはそれでも自分はまだ人間といえるのか自問していました。
クゼの描く社会は精神だけの世界です。
それでなくても人間としての多くを失ったミラにはこれ以上人間的なものから遠ざかることは耐えがたかったのでしょう。
人間性に目覚めたミラ
ミラは公安9課の仲間たちとの絆を深める中で失いかけていた人間性を取り戻しました。
人は過去の記憶を持つから人であるのではなく、何を成す存在なのかによって人になるのだとミラは悟ります。
彼女は荒巻たちとともに正義を成す存在として生き続ける道を選択したのではないでしょうか。
彼女が選んだ道を後悔する日が来るかもしれません。
それでもその道はミラが自分自身で選んだ道であり、後悔もまた人間性の証といえるのではないでしょうか。
クゼが描く物理的な苦悩のない社会もまた、それはそれで魅力的ではありますが、それが人間社会と呼べるものかどうかは疑問です。