彼女はハンカ社のビジネス的野望を好ましく考えていなかったはずです。
それでも研究者としての彼女は研究を後押ししてくれるスポンサーとしてのハンカ社を無視することはできませんでした。
彼女の中では恐らく人間としての良心と研究者としての野望が戦っていたのではないでしょうか。
博士は最終的に人間としての良心を選び、そのため命を失うことになりました。
ゴーストとは
この作品で使われている「ゴースト」は人の魂のことです。人間性といってもいいかもしれません。
人間を一つの兵器や道具として扱おうとするハンカ社の社長のような者にとって、このゴーストは極めてやっかいなものといえます。
非効率的で、想定外の行動やトラブルを生むもとになり得るからです。
しかしこの作品では、そのようなやっかいな側面を持つからこそ人は人でいられるのだといっているのではないでしょうか。
命令されたことしかできないロボットではなく、臨機応変の対応能力を持つからミラのような存在に価値があるのではないのです。
人はその効率性や生産性の故に人であるのではありません。
何事かを成そうという魂(ゴースト)こそが人間性を決定づけるのではないでしょうか。
荒巻の思惑
ビートたけし演じる荒巻課長はこの作品の中でどのような存在なのでしょうか。
彼は直接総理から命を受ける立場のようです。
政府に対する絶大な影響力を持つハンカ社を荒巻は苦々しい思いで見ていたのではないでしょうか。
彼はいわゆる「清濁併せのむ」的な役どころで、安っぽい正義感だけを振り回すような単純な存在ではなさそうです。
苦々しく思いながら下手に出てハンカ社をも上手くコントロールしようという思惑が透けて見えます。
彼にとっては社会全体の正義を守り抜くためにはハンカ社のごとき小悪はある程度見逃し、利用価値があると考えていたのかもしれません。
もちろん荒巻にとっては公安9課が重要でした。
そしてその一員であるミラを抹殺しようとするハンカ社の社長を許すことはなかったのです。
【ゴースト・イン・ザ・シェル】が迫る人間性の本質
この作品は勧善懲悪のSFアクション映画のように見えなくもありません。
最後も上手くハッピーエンドにまとめ上げているかのようです。
しかしながら、物語の中では随所に人間性とは何かが問われています。
脳だけが残っていればそれで人間といえるのか。記憶をなくした人はそのアイデンティティを何に求めればいいのか。
精神だけがネットワークに繋がれた物理的苦悩がない社会は人間社会といえるのか。
この作品はこれらの問いにミラの行動によって答えようとしているかのようです。