出典元;https://www.amazon.co.jp/dp/B0792PQHVG/?tag=cinema-notes-22
前作とは大きく作風を変えて戻ってきたSF超大作「ブレードランナー2049」。
そのKの矛盾した行動の意味と、デッカードに対する違和感について、ネタバレを含む徹底解説をしていきます。
評価は決して高くないが…
前作「ブレードランナー」が近代SF映画の最高峰と呼ばれたこととは対照的に、「ブレードランナー 2049」の評判はあまり高くありません。
コアなファンも多い作品であるのに、なぜでしょう。
まずはその理由を考察します。
前作とは大きく違う
動画のネット配信やSNSが普及し「短くわかりやすいもの」が注目を集める中で、「ブレードランナー2049」は約3時間近い上映時間です。
さらにこの作品は哲学的な内容を多く含み、決して手を伸ばしやすいとはいえないでしょう。
また「ブレードランナー」という疾走感のあるタイトルでありながら、「疾走感あるアクション映画」とはいいづらいのです。
「主人公Kが暴行を受けるシーン」や、「悩み苦しみ葛藤するシーンが多い」のも特徴的です。
前作のアクションシーンが好きな方にとっては、非常に評価しにくい続編となってしまったことでしょう。
ブレードランナーは「新旧」の争い
ブレードランナーは新型レプリカントが旧型レプリカントを解任=殺害するという「新型と旧型のレプリカント」の間で起こった闘争です。
しかしながら、この「新型」と「旧型」の表すものはストーリーの進行によって変わっていきます。
「新旧」が指すものはコロコロ変わる
冒頭のシーンでは「新旧レプリカントの争い」が任務の一環として描かれます。
そしてウォリス自身の肉体は既に死亡しながらもマイクロチップの差し替えで思考は生きていることを明かされたあとには、「人間とレプリカントとの争い」が描かれます。
冒頭からレプリカントへの嫌味は描かれていましたが、人間対レプリカントの闘争が顕著になるのは中盤からです。
また最後には「レプリカント同士の争い」となり、全体としては「レプリカントの未来と人間の未来」とを賭けた壮大な争いの物語となります。
またウォリスだけを見ると、「老いや死との戦い」でもあるのです。
人間の可能性
レプリカントを開発し奴隷や手下として有効活用することを選んだのは人間です。
その人間にはどのような可能性や未来があるのでしょう。
人間が生み出したもの
人間はさまざまな技術革新を進め、「人間もどき」と揶揄されるほど精巧にできた人型兵器「レプリカント」を生み出しました。
記憶を植え付けて人間らしく振る舞わせる技術も生み出しています。
しかしそれは同時に、人間がレプリカントに出し抜かれる、殺される、逆に奴隷にされるかもしれないという危惧をも生んでしまいました。
技術革新の裏には必ず、人の手で制御しきれるかという恐怖が伴うのです。
レプリカントは人型ゆえに、よりその恐怖を身近なものとして感じられます。
またKの恋人役のホログラムは、人格をもっているどころか「体を持ちたい」という意志をもち始めます。
ホログラムが実体を求め、レプリカントが人間であることを求めるのです。
これは人間のプログラムしたことではなく、2049年に人類はついに自らの手では制御できない機械たちを生み出してしまっています。
人間が生み出せるもの
作中を通して描かれているのは「性」の秘める可能性です。