だからこそ、上のセリフへとつながるのです。
この台詞には「強い姿を見せてまた好意を寄せてもらおうとして」が省略されているのです。
失ってから気づくもの
「人は失ってからそのありがたさに気づく」とはよくいいますが、ビリーが失ってから気づいたものは何でしょう。
アニーの存在
元妻にして未だにビリーが想いを寄せるアニーは、彼が「失ってからその大切さに気づいたもの」の筆頭でしょう。
やり直したいといくら望んでも、人生にはタイミングがあります。
時間は待ってくれませんし、巻き戻ってもくれません。
終盤、リング上のビリーがアニーを見て「綺麗だ」と呟くシーンがあります。
やはりアニーへの想いは本物で、だからこそTJを1人で育て続けてきたのでしょう。
ボクシングの価値
どうでもいいフリをしながら日々のちょっとした訓練は欠かさなかったボクシング。
これも、彼が引退してからその価値を知ったもののひとつでしょう。
どんなに恐ろしくて苦痛を伴っても、ビリーにとっては唯一世界一になれる舞台なのです。
偉大な人物、「大物」というのはそうそういません。
だからこそボクシングは彼にとって輝ける場所であり続けるのです。
TJの大切さ
一度はアニーのもとへと行かせてしまうTJとは、再会のシーンでその熱烈すぎる親子愛が描かれています。
やはり一度手元から失わなければその大切さには気づきません。
TJを大切に思う心は献身的な世話への恩義ではなく、ろくでなしの自分をいつも敬愛しついてきてくれた息子への父親としての愛です。
そしてビリーは二度とTJを手放さないことを誓います。
TJの戸惑い
アニーのもとへと預けられている間、TJには様々な心の変化がありました。
愛はお金で決まらない
母親は死んで天使になったと聞かされていたTJは、まさか競馬場で出会った裕福な女性が実の母親だとは到底信じられません。
しかもその女性は他の男と結婚しています。
TJが「ビリーを愛しているか」と問うても、イエスと答えるのは不倫にあたるのでアニーは黙るしかありません。
黙っていることで「愛していないなら母親じゃない」と言われてしまえばそれまでです。
離婚の理由は、8歳の子供が理解できる範疇を超えています。
自分たちとは生活レベルの違う、裕福な歳上の友人のつもりでいたアニーにいきなり母親だと告げられたTJ。
これからしばらく面倒をみると言われたところで、TJにとっては友人であり他人です。
アニーには感謝の気持ちこそあれ、敬愛や親愛の情はまだ存在しません。
裕福なアニーよりも長年一緒に過ごしてきて、自分への愛情があるとはっきりとわかっているビリーを選ぶのは至極当然のことです。
TJがビリーに固執するのは…
ビリーはギャンブルと酒に溺れていて、8歳のTJの方がよほどしっかりしているようにみえてしまいます。
そんなしっかり者TJがビリーを見下すことなく世話し慕っているのには、どのような理由があるのでしょうか。
常に憧れであり続けた
TJは決してビリーのことを「お父さん」と呼びません。