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『カサブランカ』は言わずと知れた名作で、その名シーンや名ゼリフは伝説として語り継がれてきました。
アカデミー賞を作品賞、監督賞、脚色賞で受賞し、アメリカン・フィルム・インスティチュートが選ぶアメリカ映画ベスト100で第二位に輝いています。
この映画がなぜこれほどまでに評価されているのか、とことん掘り下げてみましょう!
『カサブランカ』が作られた時代
この映画が作られたのは第二次世界大戦中の1942年です。ストーリーの時代設定は1941年で、ほとんど同じ時期になっています。
映画の背景である第二次世界大戦がどんな戦いだったのか、簡単におさらいしておきましょう。
第二次世界大戦
第二次世界大戦は、1939年から1945年までつづいた世界戦争です。枢軸国と連合国が戦っていました。
枢軸国はドイツ、イタリア、日本を中心とした諸国です。
連合国はイギリス、フランス、ソビエト連邦、アメリカ、中華民国を中心とした諸国です。
ドイツがポーランドを侵攻したのを契機に戦争はヨーロッパ全土に拡大していきました。
ドイツは次々と他国を侵略していき、ユダヤ人や反逆者をつかまえて強制収容所に送っていました。
そんなヨーロッパから逃げ出す人々がカサブランカに集まっていたのです。
フランス人、ドイツ人、ユダヤ人などが押し寄せ、現地のモロッコ人たちと混じって暮らしていました。
カサブランカはまさに人種のるつぼだったわけです。
パリ陥落
1940年、パリにドイツ軍が侵攻しパリが陥落しました。
リックとイルザがオーロラというカフェでシャンパンを飲んでいる時、ドイツ軍が「明日パリに入城する」と注意喚起していましたね。
パリから逃げるために、二人は列車で南下してフランス最大の港町であるマルセイユで結婚しようとしていました。
しかしイルザは駅にあらわれず、リックとサムだけでマルセイユに向かいました。
そして海を渡って北アフリカのアルジェエリアの都市オランからモロッコのカサブランカに到着したのです。
映画が作られたのは1942年ですから、パリ陥落はわずか2年前のことです。
当時公開された映画を観た人々にとって、とてもリアルな映画だったわけです。
『カサブランカ』という場所
カサブランカはフランス領のモロッコにあります。
ここから飛行機で海を渡ってポルトガルのリスボンにいき、そこからアメリカに向かいます。
ヨーロッパから北アフリカに行き、またヨーロッパに戻るということですから、ずいぶん長い回り道です。
カサブランカのオリエンタルな雰囲気もこの映画の魅力です。モロッコの民族衣装や建築物など、異国情緒がただよっています。
1943年にはアメリカの大統領とイギリスの首相がカサブランカで会談を開催したので、映画『カサブランカ』への注目は非常に高まりました。
『カサブランカ』は時代に密着した映画だったのです。
運命の分かれ道
異国の地で、人々は自分の運命が決するのを待っていました。
戦火をのがれて新天地アメリカに希望を寄せる人々。そんな人たちがアメリカを彷彿とさせるリックの店に集まるのです。
カサブランカでは通行証の有無が運命の分かれ道となります。リックはウーガーテから通行証をあずかり、そのまま持ち主となります。
イルザとラズロの命運はリックの手に握られたわけです。
カサブランカは、生きるか死ぬかの分かれ道。リックの選択は、そのまま誰かの死につながることでした。
五つの選択肢
リックには五つの選択肢がありました。
もしリックが通行証を渡さなければ、ラズロは捕まって死にます。彼の妻であり協力者でもあるイルザも死ぬでしょう。
もしリックがラズロだけの通行証を用意してイルザとカサブランカに残れば、ラズロを逃がした罪で自分とイルザに危険が及びます。