追い詰められた人々は、巧みなカーモディの扇動によりカーモディ教という最悪のわらをつかまされ、マインドコントロールされるような事態に陥ります。
結果的に人々は洗脳されることになりますが、ただ盲目的にすがれる『なにか』を求めて、自ら洗脳されていったのかもしれません。
不安と恐怖から逃れることができるのであれば、すがれるものはなんでもよかったのでしょう。
スカッとする話
物理的にも心理的にもモヤモヤする本作ですが、唯一といってよいスカッとするシーンがあります。
それは扇動者のカーモディがオリーにより退治されるシーンです。
カーモディの死
聞くにたえない妄言を垂れ流しながら周囲を扇動し、デヴィッド達を追い詰めるカーモディですが、射撃の州チャンピオン、我らがオリーによって2発の銃弾を受けて射殺されます。
心の中で拍手喝采したという人もたくさんいるのではないでしょうか。
ありがとう。オリー。
引用:ミスト/配給会社:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
殺してしまったとつぶやくオリーに、デヴィッドがいったセリフですが、これは映画を観る人も思った言葉でしょう。
オリーがカーモディに撃ち込んだ2発の銃弾
実はオリーがカーモディに2発の銃弾を撃ち込むシーンにも、しっかりとした意図があります。
観る人を1発目でスカッとさせた後、2発目で我に返し、その攻撃性を自覚させるという意図です。
このフランク・ダラボン監督の意図については、そのまま手の平の上で踊らされてしまったという人、2発ともスカッとしてしまったという人、さまざまな人がいるでしょう。
なんにせよ、カーモディ退治シーンが本作で唯一スカッとするシーンということは揺るがないでしょう。
『驚愕のラスト15分』衝撃の結末!
本作のキャッチコピーは『驚愕のラスト15分』でした。
キャッチコピーの通り、心中の失敗によりデヴィッドのみ生き残るという結末は衝撃的ですが、誰もが衝撃を受ける本作の結末は一体どのように生まれたのでしょうか。
本作の結末について見てみます。
衝撃の結末が生まれた背景
映画版の結末は原作と違うオリジナルで、監督のフランク・ダラボンが考案しました。
フランク・ダラボンは観客に問いを残したくて本作品の結末を変えたらしいです。
原作のスティーヴン・キングは映画版の結末を高く評価しています。
小説執筆時にもし映画版の結末を思いついていたら、映画版の結末にしていたと語っています。
原作の結末
ちなみに原作の結末とは次の通りです。
- デヴィッド達は霧の中で一夜を過ごしたり、ガソリンスタンドでガソリンを給油しながら進みます。ラジオからノイズに混じって人間たちが逃げ込む「ホープ」という町の名前が聞こえてきます。なお、小説の発表当初は街の名が明記されておらず、作品集に収録される時点で変更されたとのことです。
原作の結末は、心中に失敗してデヴィッドのみ生き残るという映画版の結末よりだいぶ希望が持てる結末となっています。
結末で霧は晴れたのか?
息子に『怪物に僕を殺させないで』と懇願されていたデヴィッドは、心中という苦渋の選択をするものの、心中に失敗して一人生き残るという最悪の結末を迎えます。
車の周囲の霧は晴れますが、デヴィッドの心の霧は決して晴れることはないでしょう。
観る側もデヴィッドと同じです。
デヴィッドがとった心中という選択は正しかったのか、それとも間違いだったのか、モヤモヤとした霧のような問いかけがいつまでも心に残り続けます。
フランク・ダラボン監督の観客に問いを残したかったという意図通りの結果になっています。
本作は心に残る映画ではありますが、心への残り方は最悪です。
この映画史に残る凄惨な結末は、観る人の評価がわかれるところでしょう。よかれあしかれまさに驚愕のラストです。