めいに心を寄せる海ですが、海の心の中にはめい以外にもうひとつ大きな割合を占めるものがあります。
それは復讐です。
めいへの想いをもつように、海はいじめてきた相手への恨みももっていました。
いじめがあれば憎しみがある
海は自分をいじめた相手に復讐するために肉体改造まで行ってきています。
長年彼の原動力となってきたのは、憎しみです。
海はどうしても自分をいじめた相手への憎しみを捨てられないでいました。
ただの遊びや、大した理由もなく始まったいじめでも、いじめられた子にとっては一生の心の傷となります。
海の場合も、いじめは深い心の傷となって残りました。
めいと海との差
めいと海との間には、溝とも呼べるほど大きな差があります。
その差は、めいと海の人格によく表されて描かれているのです。
いじめを受けてからの2人の生き方、心のあり方について見てみましょう。
復讐心がない
めいはいじめに遭い、人間不信となって1人で生きることを選びました。
ただし、人間不信とはなったものの、復讐心は抱いていません。
一方で海はめいと同じようにいじめに遭いましたが、いつか復讐することを誓い生きてきました。
この復讐心の有無が、めいと海との致命的な差なのです。
諦めていじめを終わらせるか、復讐していじめの連鎖を生むかは、本人の納得の問題もさることながら、社会的にも大きな問題となります。
社会問題になるほどの相違点が、めいと海とを完全に隔てたのです。
めいと大和との共通点
同じ境遇にあるのは「めいと海」であると思いがちです。
しかし、めいと大和にも、共通点はたくさんあります。
次はめいと大和とを結びつけた共通点について見てみましょう。
復讐心がない
めいと大和には復讐心がありません。
自分がどんな目にあったとしても、「復讐しようとは思わない」のです。
むしろ相手のために口をつぐむ優しさすらもっています。
これはとても大きな共通点と言えるでしょう。
復讐心があるということは、相手のせいにして相手を恨み続けるということです。
一方で、復讐心がないということは、何かがあったとしても自分の責任を認めるということになります。
あるのはただ…
めいと大和とに共通してあるのは、「優しさと憐れみの心」です。
大和の優しさが災いして喧嘩になってしまうこともあります。
しかしそれ以上に、「生き物を慈しむ心」や「自分の内面を見て認めてくれる人を大切に思う気持ち」が根本にあります。
それが、境遇の全く違う二人を結びつける重要な鍵となったのです。
終わりに
自分と同じような人を好きになるのは単なるナルシズムです。
境遇が同じだからといってその人を好きになるわけではありません。
しかしめいが海を選ばずに大和を選んだのは、「ただただ心をどこまで通わせ合えるかどうか」という基準によるものでしょう。
めいは無意識のうちに、もしくは直感で、「自分と心の波長の合う相手は 海ではなく大和だと気づいていた」ということです。
時には喧嘩をしながらでも、心を通わせ合える相手が見つかったなら、それはとても幸せなことでしょう。