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2004年公開のフランス映画『コーラス』は戦後間もないフランスが舞台です。
「サン・マルク少年少女合唱団」のソリスト、ジャン=バティスト・モニエの歌声も話題になりました。
寄宿舎に転勤してきた中年教師のマチューはなぜ子供たちを変えることが出来たのでしょう。
彼が「したこと」や「しなかったこと」に焦点を当て考察していきます。
マチューはなぜ子供たちを変えられたのか
国内ドラマでは熱血教師が生徒たちを導く話をよく目にします。
しかし『コーラス』ではどこかさ冴えない中年教師が活躍し、共感を呼びました。
マチューは権力に逆らう勇気を持っていたから
本作に描かれている「Fond De L’Etang(池の底)」では校長ラシャンが絶対的な力を持っています。
このような構図は、様々な組織に存在するもので戦後という時代背景を考えると絶対服従が当たり前の時代だったといえます。
子供たちにとって寄宿舎という限られた空間に置いては大人=校長ラシャンというイメージが付いていたことでしょう。
権力に真っ向から立ち向かうようなマチューの教育方針に、子供たちは大人の勇気を見たはずです。
また大人が自分たちを愛してくれているという思いを始めて感じたのかもしれません。
マチューは子供たちに愛されること、守られることがどんなものかを伝えることが出来る人物だったのでしょう。
将来への希望を見出してくれたから
劇中の子供たちにマチューは、将来があることを思いださせてくれました。
自分たちをとりまく厳しい環境や状況に、押しつぶされていた子供たち……。
マチューの存在こそが彼らの希望であり、心の支えだったのかもしれません。
さみしさを埋めたから
劇中でマチューは子供たちに皆が仲間であることを実感させています。
教師ものには「仲間」というキーワードが度々登場しますが、本作では「絆」と表現したほうがいいかもしれません。
子供たちは皆には自分が必要で、自分にも皆が必要だということを無意識に学んだはずです。
子供の悪戯はさみしさの現れである、とよくいわれています。
さみしさを埋めたことで、子供たちは人との繋がりを知ったのでしょう。
教育ではなく子育てだった
マチューが劇中でおこなったことは教育ではありません。
彼は子育てをおこなっただけなのです。
子供を愛して信じる、体罰をおこなわない、希望を持たせる、これらは親がおこなうべき子育てといえます。
親に十分な愛情を注いでもらえない子供たちにとって、マチューはまさに親と呼べるべき存在だったことでしょう。
親の愛に包まれた時、子供たちは優しさや愛する心を取り戻すものなのです。
自己表現の場を与えたことが子供を変えた
子供は本来想像力が豊かで、自己表現が得意です。