しかしで押さえつけられていた子供たちは、自己表現を過激な悪戯で表現するしかなかったのでしょう。

「歌」という自己表現

歌というのは自己表現の塊です。

劇中で彼らは各々が好きな歌を歌っていましたが、ここで子供たちは初めて自己表現をする楽しみを知ったといえます。

これまで悪戯として自己表現をしてきた彼らにとって、他人が自分を受け入れてくれる感覚は心を満たすものだったでしょう。

自分を認めてもらえた感覚

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コーラスの成功体験は子供たちに自信を与えるものです。

子供の成長は達成感と直結し出来たという喜びと達成感が、子供を上へと押し上げていくのです。

そして自分が認めてもらえたことで、子供たちは自分自身を受け入れることが出来たのです。

通常学校では当たり前のように行われている成功のカリキュラムですが、この映画を観るとその価値を強く感じることが出来ます。

マチューが生徒に「したこと」

Les choristes [DVD] [Region 2] (IMPORT) (No English version)

劇中のマチューにはしてあげれることが限定されていましたが、そんな中、彼は子供たちに多くのものを与えています。

子供たちの味方になった

マチューの行動で最も称賛すべきことは、子供たちの味方になったことではないでしょうか。

その行動は同時に、権力(校長ラシャン)へ対抗することを意味します。

「何をしていたんだ、また悪い事をしていたのか?」

「いえ、少し騒がしかったのを鎮めようとしていました」

引用:コーラス/配給会社:パテ

上記のセリフのようにマチューは体罰から子供たちを救っています。

愛を知らない子供たちにとって、自分たちを助けてくれる存在がいるということに戸惑ったことでしょう。

子供の味方になることは、マチューにとって自然なことだったのかもしれません。

もしもマチューに偽善的な思いがあったら、子供たちはマチューについていくことはなかったでしょう。

正しい反省をさせた

劇中、子供たちはマチューとの出会いを経て悪いことへの認識が変わっていました。

現代でも問題になっている体罰は、受けたくないから悪いことをしないという思考にすぎません。

しかしマチューのおこなった反省の仕方は、人の痛みを知る方法です。

子供たちは感受性が豊かです、言葉ではなく経験をさせることで行動へ対しての責任を理解させたのでしょう。

好きなものをあえてやめさせた

 Les choristes (arr. R. Butz for children's choir and piano): Caresse sur l'ocean

劇中でピエールに歌うことを禁じていたマチューですが、これは愛のムチであり、おそらく元音楽教師のマチュー自身の経験によるものです。

彼がいくら反発したところで、歌を好きだという気持ちは変わらないとマチューは知っていたのでしょう。

劇中ではあえて歌を禁止することで、歌への情熱が高まっていきました。

自分の夢と向き合う姿がこのシーンに凝縮されているように感じます。

現代の社会では、自分が望むことは大抵出来てしまいます。

しかし戦後はやりたいことが出来る人は、ほんの一握りの人だったはずです。

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