観客はフッカーとゴンドーフに共感し、爽快な結末に喜びを感じるでしょう。
倫理的には悪
おそらく教科書にのせるなら、血が流れなくても復讐劇は「悪」と判断されるでしょう。
しかし世の中にはグレーゾーンというものが存在しています。
「悪」の定義を掘り下げていけば、本作で描かれている復讐劇は「悪」ではありません。
詐欺という犯罪で、悪人を罠にはめた彼らはまさにグレーゾーンを歩く人物達です。
『スティング』に描かれた復讐劇は、悪でもなく正義でもないのです。
連鎖を止める復讐劇に救いを観る
彼らは詐欺という名の罪を犯しています。
しかし殺すという手段を選ばなかった理性は素晴らしいものです。
そして、フッカーとゴンドーフは自らを「殺された人」とすることで復讐の連鎖を止めているのです。
例え血を流さない復讐をしても、相手が生存していれば再び復讐をうむということを彼らは熟知していたのでしょう。
復讐の連鎖を止めた彼らの「騙し」には、保身以上のものを感じます。
公開当時は正義だった
1973年の公開当時は、まさに復讐に次ぐ復讐のベトナム戦争が終ったばかりでした。
アメリカは死への復讐を死で返してきた時代だったのです。
そんな血なまぐさい時代に置いて、ターゲットを殺さずして相手を破産に追い込む本作は正義の映画に映ったことでしょう。
血を流さない復讐劇について、映画を観る時代によってもジャッジは大きく分かれていきそうです。
嘘をついていなかったのは誰?
プロの詐欺師による巧みな嘘が、観る者を騙していく『スティング』で嘘をついていなかった人物は誰なのでしょうか。
悪徳刑事スナイダー
賄賂が当たり前に通じていた時代を痛烈に描いている本作品は、登場するスナイダー刑事も当たり前のように賄賂を受け取っています。
スナイダー刑事が偽のお金をつかまされたり、嘘のFBIに騙されたりする姿は滑稽です。
賄賂が横行し、正義が失われかけた警察を皮肉っているシーンではないでしょうか。
この映画には、正しい判断を下すべき警察の姿はどこにも描かれていません。
詐欺師であるフッカーとゴンドーフが劇中の正義なのです。
賄賂を受け取ろうとするスナイダーは、騙される一方で嘘をつくことはありませんでした。
観客はスナイダーと共に騙されることになります。
騙されたロネガン
本作品で敵役として登場したギャングのボス、ロネガンもまた嘘をついていませんでした。
ケリーとフッカーが同一人物であることを見抜けなかったことが、彼自身の足を引っ張る結果となりました。