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壮大な人生を送ったメキシコの画家、フリーダ・カーロ。
そのフリーダの生涯を、実際の彼女の作品と照らしながら、美しい映像効果を用いて綴った伝記的映画がこの『フリーダ』。
彼女は最期の時「戻りたくない」という言葉を遺しました。果たしてそれはどんな意味だったのでしょうか。
実際に彼女が描いた絵画、また絵画から表現されている彼女の人生を見て、その意味を追っていきます。
フリーダを襲う苦難
若年期から、自身には何の落ち度もない状況で障がい者となったフリーダには、実に多くの苦痛が伴ったことだろうということが想像できます。
交通事故により障がい者へ
もともと実際には、フリーダは6歳の頃から右足が不自由だったと記録がありますが、映画では割愛されているようです。
事故により体は不自由になり、常に体中の痛みに苛まれ、さらには骨盤も損傷したことで子供を産むこともできないと思われる体になりました。
彼女にとって苦難の多くはその事故が元となったのです。
激情の恋多き人生
生涯もっとも愛した男・ディエゴは事あるごとに方々の女性に手をだし、果てはフリーダの妹にも手を出す始末。
彼女の作品の中で恋愛模様は欠けてはならない要素でしょうが、そこにも多くの苦痛が伴ったことでしょう。
ハードルを負ったからこその絵画
事故から回復した後、そこからさらに目標を持つことは想像より簡単ではありません。
その意志の強さはここから既に見て取れます。
自身が一度感銘を受けたとはいえ、他の生徒と一緒に茶々を入れていた人間に作品の評価を委ねるフリーダ。
この描写からはディエゴへの尊敬の念と、絵を仕事にすることへの覚悟がうかがえます。
映像技術とストーリーを用いた作品紹介
劇中ではその時の苦難と照らし合わせるように実際のフリーダ作品と俳優をCG技術で投影させている演出がなされいます。
この作品はこうして生まれた、ということを実にわかりやすく表現しているのです。
自身の障がい、望んでいた我が子の流産、夫との離婚。フリーダにとっては相当辛い出来事でした。
一般的な人間からすると、ここから絵を描こうという気持ちにはならないのではないかとは思います。
しかし彼女はそれらすべてを絵画にとどめています。
フリーダはいつ絵を描くか
彼女にとって絵を描くということはどういうことだったのでしょう。
映画では、当時の恋人と別れる際に、自らの全身を覆う忌々しいギプスに蝶の絵を描きました。
ここが彼女にとって絵画のルーツであるように思われます。
フリーダには事故のほかにも数々の苦難が降りかかりますが、その苦難の度に彼女は絵を描いていたのです。