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1961年公開の『永遠の人』は、美しいタイトルを裏切る、ドロドロした展開が話題となりました。
30年間を描く人々の愛憎のドラマは今観ても、強烈なインパクトを観る者に与えます。
劇中でさだ子が平兵衛に謝罪した心境は何だったのか、さだ子の人間性を紐解きながら徹底考察していきます。
憎しみあっていたそれぞれの懺悔は相手に届くのでしょうか。
さだ子が平兵衛に謝罪した真意
彼女はどのような気持ちで憎しみあっていた平兵衛に謝ったのでしょうか。
隆の懺悔の代行
隆からの願いがなかったら、おそらくさだ子は平兵衛に謝罪をすることはなかったでしょう。
平兵衛を苦しめていたのは私だ
引用:永遠の人/配給会社:松竹
隆もまた、自分たちを引き裂いた平兵衛に対して少なからず憎しみを感じていたのでしょう。
平兵衛が苦しんでいる原因を知りつつ、死の間際まで彼を解放してあげようとはしなかったのです。
死を前にして、隆は自分の憎しみの罪深さを悔いたはずです。
さだ子は隆を心置きなく安らかに眠らせてあげる為に、平兵衛に謝罪したのではないでしょうか。
さだ子が謝罪をしたきっかけは、反省の気持ちでなく大切な隆の懺悔の為といえます。
子供たちを自分たちのようにしたくない
劇中に描かれてはいませんが、さだ子は過去に自分たちが駆け落ちをしていたら……、という後悔を何度も繰り返していたはずです。
当然親として自分と同じ思いをしてほしくないとも考えたはずです。
親としての愛が、平兵衛へ頭を下げさせたのでしょう。
また隆とさだ子は子供たちに自分の姿を反映していたのではないでしょうか。
子供たちが平兵衛に認められ幸せになることで、自分も長年の苦しみから逃れられたはずです。
平兵衛を思っての謝罪ではなかった?
さだ子が平兵衛の元に向かったのは、決して平兵衛の為ではありません。
おそらく謝罪をしている時も、心の中は子供たちのことや隆のことでいっぱいだったことでしょう。
観方を変えれば、謝りたくないけれど謝るという気持ちだったのかもしれません。
しかし平兵衛とのやり取りで、憎しみが消えたさだ子は、そこではじめて自分の醜い憎しみを振り返ることが出来たのではないでしょうか。
さだ子は息子を死へ向かわせた悪人?
さだ子の息子、栄一が死へ歩みを進めたのはさだ子が原因といえます。
息子を愛せない母親は悪なのでしょうか。
栄一の苦しみを救ってあげなかった
劇中の栄一は不遇の出生を果たし、行き場のない不幸を背負っていました。
現代ならば海外にでも移住してしまえばいいといえますが、戦争という背景を考えると彼は村以外に逃げ場所はなかったのでしょう。