ベルナールはマリオンに夫の元へ帰って欲しいと心に決めたようです。
一方、マリオンのベルナールへの愛は消えていないものの、ベルナールの元を去る覚悟を見せています。
と思った瞬間、カメラが引くと、そこは舞台の上。
病院での面会というひとつのシークエンスの中で、現実と芝居を連続させ、映画の結末を描き切っています。
このシーンは本作の中でのトリュフォー演出のハイライトといえるでしょう。
マリオンはルカを愛しつつ、ベルナールも愛するという結論に向かっての下地が示されるシーンでもあります。
舞台の秘密
さて、どこからがホンモノの病院で、どこからが芝居(舞台上)か分かりましたか?
病室の窓の外に見えるビルの中で動く人に注目してください。
彼らが動いている間は現実、そして書き割りになる瞬間から舞台に切り替わっているのです。
そして、3人はどうなるのか!?
トリュフォーらしいラストカット
そしてラストシークエンス。
病院のシーンで終演となった舞台上。
満面の笑顔のマリオンを真ん中に、ベルナールとルカが両側から手をつないではさみ、観客の喝采に答えます。
さて、映画を見た方は、この三人の恋愛関係はどうなるのだろう、と思うでしょう。
ハッピーエンドではあるものの、トリュフォーは何故このようなオープンエンドを観客に投げかけて映画を締めたのでしょうか。
三人のその後はどうなるのか
ここでベルナールが映画の冒頭で使った「君には二人の女性が見える」という言葉が効いてきます。
さらにマリオン主演で夫ルカが書いた舞台の演目が「消えた女」というタイトルだったことも意味を持ってくるのです。
夫ルカはマリオンを「消えた女」として、愛しつつもベルナールの存在を認めた、というわけです。
一方、ベルナールはマリオンに見た「二人の女」の中の一人、つまり彼を愛してくれる女としてのマリオンを引き続き愛していく、ということ。
マリオンはそれらを全部認めて覚悟を決め、劇場の経営もルカに任せることができるようになったと読み解けます。
そうした事情を全て含めての、あのラストの壇上のマリオンの満面の笑みだったと捉えることができるのでしょう。
「終電車」は劇中の主演女優さながらにカトリーヌ・ドヌーヴの「愛にも女優としても強い女」としての女性像が描かれたのでした。
この時期、トリュフォーは「巨匠・重鎮」と呼ばれるようになっていました。
人間の内面を斬新な手法で鋭く切り込んできた円熟の境地のトリュフォーが、この「終電車」で伝えたかった事とは何でしょうか。
それは「愛とは単純なものではない」という彼の得意とする作劇上の結論だったと推察できるのです。