この疑問を打ち破るには、フィルが乗ってきたタクシーについてお話ししなければなりません。
タクシーはなぜ先に帰ったのか
グロリアと一緒に行動していた頃には、しばしばタクシーを利用していました。
危険から逃げる時に使っていた乗り物ですから、フィルにとっても安心の移動手段だったのでしょう。
靴下に入れたお金を人に見せないようにグロリアから注意を受けていたフィル。
しかしタクシー運転手からの不信を晴らすために持ち金を見せてしまいました。
夜の墓場、そこには誰の目も届きません。
子供が1人で大金を持っている。それはタクシー運転手にとっては棚からぼた餅の状態だったでしょう。
祈りを捧げているフィルを背後から撃ったのです。
乗客がいなくなった今、タクシーはフィルを待つ理由もなく帰って行ったというわけです。
ラストシーンの謎
タクシー運転手に撃たれた後、少しの間フィルには意識がありました。
薄れゆく意識の中で、会いたいと願っていたグロリアがおばあさんの変装をして現れたのです。
ここでも多くの人が疑問に思ったであろう“変装”について解釈を加えたいと思います。
おばあさんの変装している意味は?
作品の最初の方で伏線が1つ張られていました。
お姉ちゃんじゃダメよね。じゃあママは?どう?じゃあ“おばあちゃん”になってあげる
引用:グロリア/配給会社:コロンビア映画
この発言から、ラストシーンの変装に繋がったとみるのが1番単純です。
しかしこれも胡散臭いくらいの伏線。こういう伏線には注意して下さい。
なぜ変装するのがおばあさんなのか。おばあさんが、孤独で不憫な子を優しく抱きしめる。
その姿はアンデルセン童話の中の、あの有名なお話と酷似していることに気付きます。
アンデルセン童話【マッチ売りの少女】
貧乏なマッチ売りの少女が、寒さの中で死んでしまう話としか記憶していない人もいるかもしれません。
この話は、寒さに耐えるためにマッチを擦る少女が、その炎の中に今は亡きおばあさんを見て、幸せの中で息絶える結末です。
炎を燃やしている間だけは、唯一少女に優しかったおばあさんに抱きしめられているように思えたのでした。
息絶えそうになっているフィルがマッチ売りの少女だと解釈するのならば、フィルは死にゆく運命。
グロリアも今は亡き存在であると置き換えることができるのです。
あえてスローモーションで表現
フィルと変装したグロリアの再会シーンがスローモーションだったのも、ご多分に漏れず意味があります。
よく使われるスローモーションの例として、夢や妄想シーンを描くことが挙げられます。現実と非現実を分かりやすく区別する技法なのです。
これにより、2人の再会は現実ではないと判断されます。
感動的なクライマックスが正反対の意味を持つなんて、想像できたでしょうか。
タクシー運転手に撃たれて墓石に倒れこんだフィルが、意識のある僅かな時間に見た夢が、グロリアとの熱い抱擁でした。
そしてエンドロールの下から現れた暗幕が上へと閉じていきます。
それはまるで、遠のく意識がフィルのまぶたを閉じさせるように。
触れ込みの通りにハッピーエンドだと解釈したのなら、つまらない映画だったと評価するのは無理もないことです。
しかし、ここまで解釈を加えたことにより、その評価は覆ったのではないでしょうか。
ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞するだけの実力がある映画「グロリア」。観賞する者を試す映画だといえるでしょう。