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1954年公開の『道』は、イタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニの代表作といわれています。
粗野な男ザンパノの持つ人間性を紐解きながら、彼が海辺で泣き崩れた理由を徹底考察していきます。
ザンパノはジェルソミーナを愛していたのでしょうか……。
ジェルソミーナの質問に答えなかった背景には、ザンパノの苦悩が隠されていました。
海辺で泣き崩れた理由
劇中、ザンパノはジェルソミーナをどうすることも出来ず置き去りにしました。
一度は見捨てたにもかかわらず、なぜ彼は泣き崩れたのでしょう。
排他的要素への後悔
ザンパノは粗野で自己中心的な人物ですがジェルソミーナは、どんな時もザンパノについてきました。
彼の性格を考えると長い人生の中で、ジェルソミーナほど自分の側にいてくれる人物はいなかったのではないでしょうか。
それを象徴するかのように海辺にたどり着いたザンパノに連れはなくひとりぼっちです。
ひとりで彷徨い歩いた5年間、彼はきっと自由を感じそして孤独も感じていたはずです。
彼女の死は、ザンパノに強い孤独感を与えると共に自由に生きるという自分の生き方がいかにむなしいものかを感じさせたのでしょう。
監督フェデリコ・フェリーニは、人の持つ排他的な部分を描くのが上手い監督です。
ザンパノが海辺て泣き崩れたシーンは、まさにザンパノが持つ排他的要素への後悔の涙ではないでしょうか。
ジェルソミーナにも孤独を与えた罪悪感
ここでは知り合いもなく
口数も少なかった
引用:道/配給会社:イタリフィルム / NCC
ジェルソミーナの最後は孤独なものでした。
かつて自分を思ってくれたジェルソミーナを、孤独のうちに死なせてしまった罪悪感もあったのではないでしょうか。
孤独というものがどんなものかを深く知っていた彼だからこそ、ジェルソミーナに対しての感情があふれ出したのです。
回想シーンが物語る
ザンパノはとっかえひっかえ、様々な女性と一夜を共にしていますがこの行動の裏には彼の寂しさが隠れています。
自由を愛する反面、自由に伴う孤独を埋める為に女性を抱いていたのでしょう。
いつも側にあるものは見えにくいもの……、彼はジェルソミーナの存在の大切さに気がついていなかったのです。
ザンパノは心のどこかで、彼女は戻ってくると思っていたのかもしれません。
劇中に流れる回想シーンは、ザンパノの求める満たされた時間の記憶です。
しかし彼女の死によって、もう二度と自分は満たされることがないと悟ったのでしょう。
ザンパノがジェルソミーナに向けた感情
劇中でザンパノがジェルソミーナにとった行動には、監督の得意とする叙情性が色濃く表れています。
ザンパノの示した切なさを感じる行動は愛なのでしょうか。
彼の感情に明確な答えはなく、様々な解釈が出来るのも『道』が名作である所以です。
家族的な愛情
ザンパノにとって自分に従う人間は全て自分の所有物です。