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本作『溺れるナイフ』は累計発行部数170万部以上を誇る少女漫画を原作にした映画です。
さらに若手実力派俳優・小松菜奈と菅田将暉のW出演によって、公開前から大いに注目されていました。
しかし、ふたを開けてみれば特にネット上で批判にさらされることになりました。
少女漫画ファンからは「コウと夏芽の恋愛描写が雑すぎる」といった声があがりました。
一方で原作を知らない鑑賞者からは「結末が抽象的で分かりづらい」といった声があがりました。
しかし私にとって『溺れるナイフ』は4つ星の青春ラブストーリーでした。
カンヌのような権威ある国際映画祭の出品作に選ばれてもおかしくない程のクオリティを感じました。
今回は多分に過小評価されたこの映画の魅力を徹底的に掘り下げます。
コウと夏芽を縛り付けた神の呪い
コウと夏芽はお互いに田舎町に違和感を抱きながら、ずっと留まることになります。その理由は何だったのでしょう。
ボーイミーツガールの神秘感
最近はラノベの方にメインフィールドが移っていますが、少女漫画の核心にはボーイミーツガールがあります。
少女漫画ベースの本作でも、15歳の少年少女・コウと夏芽の衝撃的な出会いから物語が始まります。
新海誠監督作の多くもそうですが、ボーイミーツガールの本質には少年少女による恋の神秘化があります。
2人のロマンスが世界の中心にあり、2人はあらゆる物事がその手のひらに乗っているような感覚に浸っているのです。
本作でもコウと夏芽はそんな青春ロマンスの全能感を共有します。
浮雲という田舎町の名前、出会いの場所が神の海と呼ばれる不可侵の聖域だったりすることも、彼らの自己神秘化を促します。
最初コウと夏芽を田舎町に縛り付けていたものはボーイミーツガールならではの神秘感だったといえます。
神秘感の裏返しとして出てきた呪われた意識
夏芽とコウのボーイミーツガールは過酷な現実によって壊れます。
夏芽が強姦未遂事件の犠牲になり、コウが現場にいながら救えなかったことで2人の恋は一気に冷めます。
夏芽はコウにベタぼれ状態でしたが事件以降は長く自ら会いに行きませんでした。再会すると自分を助けてくれなかったことでコウを強く責めます。
彼女がコウを本当に好きであれば、心身ともに傷を負った彼のことを労わっていたことでしょう。
そして彼らは共にひどい目にあったのは、不可侵の海を泳いで神の呪いにあったからだと思い込みます。
それはボーイミーツガール的な思い込み心理の裏返しといえます。
恋が冷めた後、コウと夏芽は呪いの意識の共有によって浮雲という田舎町に縛り付けられることになるのです。
名演と撮影と演出の力
物語自体はボーイミーツガール的な浅はかさを持っています。
しかし小松菜奈と菅田将暉の演技力や美しい撮影、また監督の自由な演出によって本作は映画ならではの輝きを放ちます。
コウのアンビバレントな魅力
菅田将暉演じるコウは、ひと言で言えば昭和ツンデレ少年です。野生児そのままに荒々しく生きていて、女の子が相手でも容赦ありません。
コウを突き飛ばして海に飛び込むシーンなどでは完全に男友達といるノリです。つばをかけた後にキスをするのもまさに昭和男児。
見ているだけで痛々しくも感じますが、これは今も息づく田舎少年のリアルでもあるでしょう。
一方でコウには芸術家気質でミステリアスな一面もあり、そのアンビバレントなキャラが非常に魅力的です。
コウと夏芽の仲はいつもチグハグしていてぎこちありませんが、その歯車がかみ合わない点が2人の最大の魅力でもあります。
それは、すべてがお決まりの演技でスムーズに進むTVドラマなどでは決して味わえない映画ならではの表現方法なのです。
妖艶な小松菜奈
対する小松菜奈演じる夏芽は、乱暴なコウちゃんに振り回されっぱなしです。