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【サウルの息子(ネタバレ)】正式な埋葬にこだわった理由を徹底解説!サウルに息子はいたの?結末で森へ走り去る少年は誰なのか

出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B01FS30KYY/cinema-notes-22

こういう映画を作る必要のない世の中であって欲しい、と痛切に思わずにはいられない「サウルの息子」。

第二次世界大戦下の欧州で行われたユダヤ人絶滅を目指したホロコーストはナチス・ドイツによる人類史上最大の犯罪として記憶されています。

この事件をサウルというハンガリー系ユダヤ人の男の目を通して描くのが「サウルの息子」。ハンガリーの映画です。

2015年度のカンヌ国際映画祭でパルムドールに次ぐグランプリを受賞。

またアカデミー賞最優秀外国語映画賞を獲得したほか、各国で非常に高い評価を得ています。

重くて暗い映画ですが、この重大な事件を見つめることで私たちはホロコーストの貴重な追体験をすることになります。

ミステリータッチを含み、しかし視点を外さない見事な演出を読み解きながら、この映画の主張と背景を考えていきましょう。

ラストの雑木林のロングショットは何を語るのでしょうか、ラースロー監督の想いはどこにあるのでしょうか。

ゾンダーコマンドとは何か

ユダヤ人処理を強制されたユダヤ人

Sonderkommando ペーパーバック – 2010/6/1

この映画を鑑賞し理解する上で欠かせないのが「ゾンダーコマンド」という組織です。

ドイツ語での一般名詞としては「ゾンダー=特別の」「コマンド=部隊」ですから、「特別部隊」とでもいうのでしょう。

しかし、ホロコーストにおいての「ゾンダーコマンド」には特別な意味がありました。

ナチス・ドイツはアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所などユダヤ人絶滅施設では自らの手を汚すのを嫌いました。

そこで、強制収容したユダヤ人の中から「絶滅処理」を担当するユダヤ人を選抜しました。彼らが「ゾンダーコマンド」と呼ばれていたのです。

彼らとて最後までは生きられない運命なのでした。

映画冒頭で示されるゾンダーコマンドの仕事は、ユダヤ人の絶望的な状況(収容される側、ゾンダーコマンド側どちらも)を一筆書きのように一気に描きます。

息ができないような、目を背けたくなるような光景が長回しの映像の中に繰り広げられます。

映像の工夫

残酷で苛烈な映像をどうするか

Auschwitz Death Camp (Images of War) (English Edition) Kindle版

ホロコーストを描く上で、どうしても目を背けたくなるような光景を描かなくてはなりません。

ネメシュ・ラースロー監督はどういう工夫をしたのでしょう。

まず冒頭のシークエンスで分かるのですが、「アップの多用」と「背景のぼかし」。

広い画を使うとどうしても強制収容所で繰り広げられる残虐な光景を映像化せざるをえなくなります。

ラースロー監督はメイキング画像からも分かるのですが、被写体とキャメラの距離を50センチほどまで接近させました。

そのことで捉えた人物の表情をしっかり表現出来た上に、彼の背後の残虐な光景をボカす効果を生みました。

一方で背景にあるアウトフォーカスされた光景は何をしているか、されているかはしっかりと分かるのです。

それ故に逆にいえることは周囲で起きていることの恐ろしさを観客に想像させゾンダーコマンドの共有体験をさせる効果を発揮しています。

具体的な遺体の山などの残虐性を排除できる映像効果も当然得ることが出来ています。

しかもキャメラは手持ちで落ち着きを無くし、観客に「息が詰まる感覚を上手く引き出すことに成功しているのです。

ラースロー監督は、残虐な光景を収めるキャメラに対し正統な工夫で攻める形を借りて実はあからさまに見せる以上の効果を生み出しました。

サウルが収容所から脱出し、こどもの遺体を抱えて川を渡るシーンも、どうやって撮っているのだろう、と思わせます。

長回しの中で繰り広げられるアップの映像は非常に多弁。脚本も書いたラースロー監督の見事な演出といえるでしょう。

サウルと少年の遺体

映画が動き出す

Son of Saul [Region 2]

ゾンダーコマンドとして黙々と日々の仕事をこなすサウルのもとに、一人の少年の遺体が送られてきました。

少年はガス室に送り込まれたものの、多くの遺体と共に搬出された時は息がある状況でした。

しかしナチスの将校に口を塞がれトドメをさされてしまうのです。

サウルはそれをはぐれてしまった自分の息子の遺体だと信じて疑いません。この少年は本当にサウルの息子なのでしょうか?

彼は収容所の中から、次々と到着するユダヤ人の中から葬儀を司るラビ(キリスト教の牧師、神父に相当)を必死で探します。

サウルはまるでとりつかれたようにラビによる葬儀と少年の埋葬の道を探ります。この辺りから物語が動き始めます

増えるユダヤ人、収容所は満杯に

残虐性を増すナチス

Hitler: Military Commander ペーパーバック – 2018/7/3

第二次世界大戦欧州戦線でハンガリーはドイツに占領され、ナチに協力して自国の50万人ともいわれるユダヤ人を強制収容所に送り込みました。

本作で描かれる1944年のアウシュビッツにおいて、次々と送り込まれるユダヤ人で収容所は満杯。ガス室の処理では限界を迎えていました。

そこでナチは、連行してきたユダヤ人を森の中へ連れていき銃撃して射殺、その場で穴に埋め火炎放射器で焼くという狂気の行為に出ます。

映画はこの狂気のシーンもゾンダーコマンドらの視点・視線で捉えていきます。

彼らは自らなすべき道を失ってしまったのでしょうか。いや、そうではないのです。ユダヤ人とて絶望の中、考えることはありました。

ゾンダーコマンドの反逆

生きる希望を求めて

The 'Sonderkommandos' (

ゾンダーコマンドも、更新されるように殺されては新しい囚人が充てがわれていました。彼らは座してこれに甘んじていたわけではありません。

サウルらは密かに火薬を集め、銃を手に入れ反逆の機会を窺います。

そして遂にガス室の前で反乱が起きます。銃で武装したユダヤ人囚人たちは手に入れた銃でドイツ軍と銃撃戦を繰り広げます。

一部は収容所からの脱出に成功したのです。

サウルの行動

SON OF SAUL

サウルは反乱に手を貸し、自分も遺体を背負って収容所を脱出できました。逃亡してからもサウルはラビによる葬儀と埋葬の希望を捨てません。

しかし広い川を渡る時、泳げないサウルは溺れかけてしまいます。

本人は仲間に救助されますが、遺体を入れた袋は流されてしまいました。

「サウルの息子」というタイトルは

ラースロー監督が託したもの

サウルの息子 [レンタル落ち]
ゾンダーコマンドが自らの存在を、その物理的な「生」に頼れなくなった時、彼らはこの記録を何とかして外に知らせ、後世に伝えたいと願いました。

そこで彼らが取った方法は、連行されてきたユダヤ人の一人が密かに持ち込んだカメラを使って収容所の惨状を記録することでした。

加えて文書としても記録し、それらを自分らが生きた証として、またナチの所業を知らせるためビンに封入して収容所の地面に埋めたのです。

これらは戦後実際に掘り出され、今も記録として残り展示されています。ネットでも写真は確認することが出来ます。

上記の事柄から、サウルがあれほどまでに少年の遺体の葬儀と埋葬に拘った理由への考察が可能になってきます。

彼の行動はハンガリー系ユダヤ人であるサウルの、「同胞に対する贖罪」であり「未来への希望」ではなかったのか、ということです。

少年の遺体はサウルの息子であろうとなかろうと関係なかったのです。

恐らく息子ではなかったのでしょう。

サウルの動きは「ラビによる少年の葬儀と埋葬」、「写真と文書による記録の埋蔵」に集約されて描かれます。

これら2つの相似形ともいえる行動は、現在と将来へ発信する「生」への記録としての情動と捉えることができます。

その2つを象徴する言葉が「サウルの息子」なのではないでしょうか。

これこそラースロー監督が作品に託した想いなのだと考えられるのです。

光り輝く森=ラストシーンが伝えること

鳴り響く銃声と輝く森

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脱出に成功したサウルら。やっとの思いで川を渡り森の中の小屋にたどり着きます。そこに現れた一人の少年。

サウルの顔に笑顔が浮かびます。この映画で唯一の笑顔です。サウルはこの少年に川に流されてしまったあの少年を重ねたのでしょう。

しかし、この少年はサウルの味方ではなかったのです。(あるいは希望と絶望のメタファー)

この少年は森の中へと消えていきます。その後サウルらを捉えたショットはありません。

光さす森の光景の中、やがて遠くで鳴り響く銃声

これはサウルら脱走者の末路を暗示しています。

そして引き続き森の遠景。聞こえてくるのは小鳥の鳴き声だけとなります。

結局サウルはホロコーストの魔手から逃れることは叶わなかったのです。

しかし、少年の遺体に拘り、写真と文書を埋めたことは彼の生きた証を将来に向けて確保した明るさではなかったかと思えるのです。

目を背けたくなる映像とテンポある物語の展開で観る人の目を釘付けにするものの、基本は暗く残酷な世界を描く映画ではあります。

しかし、最後の最後に一筋の光明を示すことでこの映画は俄然光り輝くものとなったといえるでしょう。