本人は仲間に救助されますが、遺体を入れた袋は流されてしまいました。
「サウルの息子」というタイトルは
ラースロー監督が託したもの
ゾンダーコマンドが自らの存在を、その物理的な「生」に頼れなくなった時、彼らはこの記録を何とかして外に知らせ、後世に伝えたいと願いました。
そこで彼らが取った方法は、連行されてきたユダヤ人の一人が密かに持ち込んだカメラを使って収容所の惨状を記録することでした。
加えて文書としても記録し、それらを自分らが生きた証として、またナチの所業を知らせるためビンに封入して収容所の地面に埋めたのです。
これらは戦後実際に掘り出され、今も記録として残り展示されています。ネットでも写真は確認することが出来ます。
上記の事柄から、サウルがあれほどまでに少年の遺体の葬儀と埋葬に拘った理由への考察が可能になってきます。
彼の行動はハンガリー系ユダヤ人であるサウルの、「同胞に対する贖罪」であり「未来への希望」ではなかったのか、ということです。
少年の遺体はサウルの息子であろうとなかろうと関係なかったのです。
恐らく息子ではなかったのでしょう。
サウルの動きは「ラビによる少年の葬儀と埋葬」、「写真と文書による記録の埋蔵」に集約されて描かれます。
これら2つの相似形ともいえる行動は、現在と将来へ発信する「生」への記録としての情動と捉えることができます。
その2つを象徴する言葉が「サウルの息子」なのではないでしょうか。
これこそラースロー監督が作品に託した想いなのだと考えられるのです。
光り輝く森=ラストシーンが伝えること
鳴り響く銃声と輝く森
脱出に成功したサウルら。やっとの思いで川を渡り森の中の小屋にたどり着きます。そこに現れた一人の少年。
サウルの顔に笑顔が浮かびます。この映画で唯一の笑顔です。サウルはこの少年に川に流されてしまったあの少年を重ねたのでしょう。
しかし、この少年はサウルの味方ではなかったのです。(あるいは希望と絶望のメタファー)
この少年は森の中へと消えていきます。その後サウルらを捉えたショットはありません。
光さす森の光景の中、やがて遠くで鳴り響く銃声。
これはサウルら脱走者の末路を暗示しています。
そして引き続き森の遠景。聞こえてくるのは小鳥の鳴き声だけとなります。
結局サウルはホロコーストの魔手から逃れることは叶わなかったのです。
しかし、少年の遺体に拘り、写真と文書を埋めたことは彼の生きた証を将来に向けて確保した明るさではなかったかと思えるのです。
目を背けたくなる映像とテンポある物語の展開で観る人の目を釘付けにするものの、基本は暗く残酷な世界を描く映画ではあります。
しかし、最後の最後に一筋の光明を示すことでこの映画は俄然光り輝くものとなったといえるでしょう。