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宮本輝の小説を映画化した「泥の河」は、少年の目を通してみた戦後の闇を映し出しています。
1981年に公開され、日本アカデミー最優秀監督賞や最優秀撮影賞を始め、海外でも高い評価を得ました。
戦後復興の時代、民衆が苦しめられていた戦争の傷跡とはどのようなものなのでしょう。
泥の河に潜むお化け鯉の正体を徹底解明していきます。
戦後復興の裏側に迫る
「泥の河」で舞台となっているのは昭和31年、戦後11年程たった大坂です。
本作品は、復興を経てもなお戦争の傷跡に苦しむ民衆がいたことを、歴史に刻む作品となっています。
戦争の傷跡は簡単には消えない
劇中で舞台となっている昭和31年は、各地でデパートブームが沸き起こり、映画館も次々に建てられた時代です。
高度成長期と呼ばれていた日本、戦争の傷に蓋をしてしまうような歴史に「泥の河」は鋭いメスをつきたてました。
1981年制作の映画ですが、当時はすでにカラー映像が主流です。
しかし、監督はあえて映画をモノクロにし戦争の影を色濃く演出しています。
「泥の河」は戦争を隠蔽するかのような戦後の時代の真実を、子供たちの視線で描いているのです。
死はすぐそばにある
劇中では荷馬車引きの男性の死や、晋平の元妻の病気、蟹の甲羅に火をつけるなど「死」はいつも身近に存在します。
戦後10年経っていても、死の存在はまだまだ遠ざかってはいなかったのでしょう。
戦争で死んでしまった方が楽だったという考えは、戦後の高度成長に乗れない民衆の悲痛な叫びです。
民衆の苦しみを描写
戦後、日本は苦労しながらも高度成長期を迎え輝かしい発展を遂げます。
しかし、歴史の裏側には多くの貧しい民衆が存在し、戦争を引きずっていたのです。
昭和31年の流行語「もはや戦後ではない」
昭和31年といえば「もはや戦後ではない」という言葉が流行した時代です。
しかし、実際は戦争の傷が人々を苦しめ、生活すらままならない人が多く存在していました。
劇中では、銀子も喜一も母親の仕事に関して、何も口に出すことはありません。
彼らはうどん屋の客になじられたときも、じっと堪えて下を向いています。
子どもたちは自分達の置かれた状況をしっかりと理解し、受け入れているのでしょう。
その姿は、戦時中に必死に生き抜く子供達の姿と重なります。
昭和31年という時代は「間違いなく戦後の時代です」この映画を観るとそう断言せざるを得ません。
水上生活者の存在
劇中で銀子や喜一が住んでいる家(舟)は、当時では珍しくありませんでした。