このボーイミーツガール節は新海作品に一貫したものであり『天気の子』もその例外ではありません。
ラノベの人気ジャンルに「転生もの」があります。ひどい事故で死んだ人があの世で生まれ変わって超能力を身につけるというのが大体の筋です。
それは本作にも通じます。ヒロインの陽菜は親の死というあまりに辛い現実から逃げ出し、その先で天気の巫女になります。
醜い現実に向き合うより、美しい恋に身を捧げたい。または別世界に招かれて何か超能力を身につけたい。
ラノベ型ストーリーが受けるのは現代人の多くがこういう逃避願望を持っているからではないでしょうか。
『君の名は。』のアンチを挑発しようとした新海監督
劇場用のパンフレットにあるインタビュー記事の中、新海監督は興味深い発言をしていました。
彼は『君の名は。』を非難するアンチに対し迎合するのではなく、挑発的な新作にしたかったという態度を取っています。
『君の名は。』は絶賛の一方で、ミュージックビデオ映画だともいわれました。ボーイミーツガールの子供だまし映画だと軽く見られたのです。
新海監督はそんな批判に応えようと気候危機という最大の現実問題に挑んだのかもしれません。
しかし映画の中で帆高が最後に下した決断はその大問題を放棄するものでした。
「天気なんて狂ったままでいいんだ」
引用:天気の子/配給会社:東宝
そのときのこのセリフが、映画の出発点になったと新海監督はインタビューで語っています。
この現実逃避な結末には『君の名は。』の批判者も間違いなく腹を立てたことでしょう。新海監督のいじわるな試みは成功したはずです。
天気は本当に狂ったままでいいのか?
東京の気候危機を放棄した帆高の結論に対し、世間では賛成と反対の意見がぶつかることになりました。この映画のメインテーマについて考えます。
天の意思に通じる帆高の決断
帆高が陽菜を天から連れ戻したことで東京は長雨で水没することになりました。
一見すると帆高は身勝手なように見えます。ガールフレンドを救うために東京都民に災いをもたらしたのです。
しかし作中にはセリフを通じて、この帆高の意思が天の意思でもあるという意味づけが多々あります。
天は気候バランスを保つために雨の日や晴れの日、また時には大災害をも引き起こす。
そのため気候を変えようとするのは人類のエゴではないか。この神レベルの視点は帆高の最後の結論につながります。
つまり彼の選択は、ガールフレンドを救うと共に天の意思を尊重することにもつながるものだったのです。
環境問題に対する2つの答え
しかし地球環境をただ天に丸投げするだけでいいのでしょうか。
環境問題に対する世界の主流派は、人類が団結して気候危機に取り組まねばならないと考える人たちです。
『天気の子』のメインテーマは天気をただ天に任せるということにあり、この点で批判を集めました。
公開翌年の米国アカデミー賞・長編アニメ賞部門の候補作からこの作品が外れた一因もまた、この点にあるのかもしれません。
ただやはり地球の主役は地球・つまりこの映画でいうところの天であり、その意思を尊重するのも極めて大切なことだといえます。
この映画のテーマが世界の環境運動とのバランスを取った上で訴えられていれば、より響くものになったのではないでしょうか。