『この世界の片隅に』を制作するとき、そんなすずを描くことに片渕監督は抵抗を感じました。
リンのシーンをカットした2つの理由に共通することは、片渕監督がいかに作品を想っているのか、です。
作品の魅力を本当に理解しているからこそ、物語で最も重要なシーンの一つをあえてカットしたのです。
リンとすずは幼き頃に出会っていた
すずと周作が幼いころに出会っていたかもしれない、という話は劇中出てきました。
一方で、リンとすずも幼いころに出会っていたことをご存知だったでしょうか。
すずが祖母の家で座敷童に出会った話、その座敷童こそがリンだったのです。
すずの屋根裏部屋で女の子を見たエピソードやスイカがなくなったエピソード。
リンの屋根裏部屋で過ごしたことがあるエピソードとスイカを一度だけ食べたことがあるエピソード。
実は二人のエピソードはリンクしており、幼いころにすでに出会っていたことがわかります。
本作でリンとすずが出会っていたことが、それとなくしか示されていなかったことには理由があります。
それはリンが周作と恋仲にあったことを強調するためです。
リンと周作の物語があったことで、すずが嫉妬するといったような、前作と違う一面を描くことに成功しました。
そのためリンと周作の物語が強調されるよう、リンとすずの出会いはそれとなくしかわからないような描写になりました。
最後に現れたヨーコは何を象徴するのか
ヨーコは戦後の復興の象徴
ヨーコとは、本作の最後ですずと周作に引き取られた、身寄りのない女の子です。
映画で名前は登場していませんが、ノベライズ版で名前が明かされています。
そのヨーコは、戦後日本の復興の象徴だったのです。
親も兄弟もおらず、何も持たないヨーコはまさしく敗戦したときの日本そのものでした。
しかし北條家に引き取られてからすくすくと育ち、裁縫を習っているシーンでは洋服も作っています。
日本では戦前、女性が洋服を着ることは珍しいことで、洋服が女性にも普及したのは戦後のことです。
そのため洋服を作っているヨーコはまさしく日本の復興を象徴しているのです。
希望をもたせてくれる存在
またヨーコは、北條家に希望をもたらした存在としても描かれています。
戦争や台風など相次ぐ悲劇で、北條家はいろいろなものを失いました。
そんな中、唯一得たものがヨーコだったのです。
ヨーコはすずや周作、そして北條家の人々にとっても大切な存在となりました。
先ほど、ヨーコは日本の復興の象徴と書きましたが、それに加え北條家が新たにスタートをするための存在ともいえます。
ヨーコは、北條家に、そして日本にも希望をもたせてくれる存在だったのです。
すずが世界に居場所を見出す物語
最後に自分の居場所を見出せたすず
戦争や戦時中の人々の生活を緻密に描いている本作。
一方、本作の物語はすずが自分の居場所を見つけるための物語でもあります。