出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00GQVTWEC/?tag=cinema-notes-22
1993年に公開された「シンドラーのリスト」は、トーマス・キリーニーの「シンドラーの箱船」をもとに製作されました。
日本では翌年公開されており、オスカー・シンドラーの活躍を描いた実話として多くの話題を呼んだのです。
注目度の高い超大作ですが、監督スティーヴン・スピルバーグは、映画の中に多くのメッセージを残しました。
あえてモノクロ撮影をした理由や、目を引く赤い服の少女に焦点をあてて、監督の伝えたかった思いを紐解いていきましょう。
セリフに込められた監督の思い
「シンドラーのリスト」は単なる娯楽映画ではなく、史実を基に描かれた人間の歴史です。
劇中には監督を務めたスティーヴン・スピルバーグの思いが溢れています。
監督スティーヴン・スピルバーグはユダヤ系
スティーヴン・スピルバーグは、ウクライナ系ユダヤ人です。
スピルバーグ監督が生まれた2年後の1948年には、ユダヤ人国家イスラエルが誕生しています。
この時アメリカは、イスラエルを支援する立場を取りました。
しかしアメリカ国内でのユダヤ人の立場はあまりいいものではなかったようです。
ディスレクシアのために同級生より読み書きを修得する速度が遅く、このためいじめも受けたこともあった。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/スティーヴン・スピルバーグ
彼は大きな迫害を受けていたわけではありませんが、ユダヤ人として他とは違った幼年期を過ごしました。
また2006年、レバノン侵攻時にユダヤ人の国イスラエルに多額のお金を寄付しています。
スピルバーグ監督がユダヤ人であったということは、映画「シンドラーのリスト」に大きく影響しているのではないでしょうか。
監督の心の声
劇中でシンドラーは、ユダヤ人のシュターンに下記の台詞を伝えます。
私はドイツ人だ。だから何だ。
引用:シンドラーのリスト/配給:ユニバーサル・ピクチャーズ
ユダヤ人迫害の中、シンドラーは人種など関係ないと考えていたのです。
シンドラーがユダヤ人に対し同じ人間として、ひとりの人として向き合う姿に強さを感じます。
現代日本でこそ当たり前のことですが、戦時中のドイツ国内で彼のような考え方が出来るのはごく稀な人物だけです。
そしてこのセリフは、ユダヤ人の血を引くスピルバーグ監督の心の声ともいえるのではないでしょうか。
ユダヤ人の辿った悲痛の歴史は、今なお心の奥に影を落としているようです。
タイトルにもなった「シンドラーのリスト」
劇中に映画タイトルともなったリストが登場します。
これは善のリストです。このリストは命だ。
引用:シンドラーのリスト/配給:ユニバーサル・ピクチャーズ
リストには、シンドラーが助けることが出来る1000人ほどの名前が書いてありました。
シンドラーは戦争という異常な空間において、しっかり善悪の判断が出来たのです。
監督は「善」を強調しています。
このリストこそが、異常な戦時中における一つの正義であり善なのです。
希望のリストですが、多くのユダヤ人の内たった1000人ほどしか助けられないという悔しさも感じるセリフです。
監督が同じ時代その場にいたら……
劇中でシンドラーは下記の台詞を口にします。
もっと救えたはずだ。もっと多くの人を。わからないが…できたはずだ。
引用:シンドラーのリスト/配給:ユニバーサル・ピクチャーズ
シンドラーがお金をもっと持っていたら、一人でも多くのユダヤ人を助けることが出来た。
この思いは観客の思いであり、監督の思いでもあります。
もしスピルバーグ監督が同じ時代にいたら、彼もシンドラーと同じことをしたかもしれない……。
可能なら一人でも多くの人を助けたかった。
シンドラーの台詞が監督の胸の内とこだまするようです。
世界に向けたメッセージ
この映画は、戦争を知らない世代へ向けて作られています。