美しい映像が心に残った人も多いのではないでしょうか。
純粋なエドワードの心
雪は繊細で美しく、儚いものです。
まさにエドワードの心を表現しています。
雪を舞わせている時は、彼が唯一本当の自分でいられる瞬間なのかもしれません。
雪はどうして降るの?
引用:シザーハンズ/配給会社:20世紀フォックス
冒頭部分で孫はキムに問いかけます。答えのひとつはエドワードが純粋だからというものでしょうか。
雪で抱きしめている
エドワードの降らせた雪の中でキムが踊るシーンが印象的です。
彼は自分がキムを抱きしめられない代わりに、雪で彼女を抱きしめたのではないでしょうか。
劇中に降る雪はエドワードの愛なのです。
エドワードを受け入れなかった街ですが、毎年クリスマス時期に彼の愛に包まれていることになります。
エドワードのその後を考察
劇中ではエドワードがその後どう生きたのか描かれてはいません。
彼は丘の上の城で、どう生きているのでしょう。
エドワードは悪に染まろうとはしなかった
エドワードが城に戻ったのは、皆に追われたからです。
おそらくその後は、二度と街へは下りなかったのではないでしょうか。
街へ下りれば自分が「悪」になり、人々を傷つけてしまうことを知っていたのです。
事実、彼は劇中でジムを殺しています。
純粋過ぎるエドワードにとって街の人々は恐怖の対象だったことでしょう。
純粋さを失わず生きている
彼は毎年キムを想いながら雪を降らせており、時を経ても彼は純粋な愛を忘れてはいません。
美しくも悲しいストーリーです。
エドワードは自分が動かなくなるまで、毎年雪を降らせたのではないでしょうか。
キムは孫に下記のように語っています。
「なんでまた会いに行かないの?」
「私はこんなに老いたわ。彼には美しい私だけ覚えておいてほしい」
引用:シザーハンズ/配給会社:20世紀フォックス
エドワードが人間の寿命のことをどこまで理解していたかはわかりません。
しかし彼の彫刻が示すように、彼の中ではキムは美しい娘のままなのです。
彼は永遠に美しいキムを想い雪を降らせ続けたことでしょう。
エドワードにはモデルがいた
エドワードはティム・バートン監督そのものですが、人造人間としての姿にはモデルが存在します。
それは監督も常連の有名美容室「 WARREN TRICOMI NEWYORK」のオーナー美容師です。
彼の名はEdward Tricomi(エドワード=トリコミ)、世界中からはるばる彼の元へ通うセレブもいるのだとか。
彼の巧みなハサミ裁きが、映画のモデルになっており名前もそのまま使用されています。
人間の醜さを浮き彫りにした作品
見た目は醜く滑稽なエドワードは、誰よりも純粋な心を持っていました。
反対に街に住む住人たちは、興味や欲にまみれた醜い心を持っています。
美しい恋愛を描きながらも、劇中には痛烈な風刺が埋め込まれているのです。
この映画は、自分と違う存在とどう向き合うべきなのかを考えさせられる作品ではないでしょうか。
見方を変えれば大多数という集団心理の恐ろしさも見えてきますね。