結論から先に言うと、米国で研究されていた海洋生物と牧博士は何らかの方法で融合を果たしたと考えられます。
ゴジラの完全な肉体に人間の知恵と魂が宿ったことで、神に等しい完全生物となりました。
完全生物となったシン(真)・ゴジラは、人類を滅ぼすという意思を持って東京へ向かったのです。
そう考えられる根拠は新世紀エヴァンゲリオンにあります。どういうことか説明していきましょう。
「知恵の実」と「生命の実」
新世紀エヴァンゲリオンでは、キリスト教の聖書になぞらえた設定がストーリーの重要なファクターになっていました。
聖書では知恵の実を食べたエヴァとアダムはエデンの園を追放されました。
なぜ追放されたかというと、もう一つの生命の実を食べてしまうと神と等しいものになってしまうからです。
エヴァンゲリオンに隠されたヒント
新世紀エヴァンゲリオンは聖書をモチーフとして扱っています。モチーフなので、もちろん大幅にアレンジしてあります。
新世紀エヴァンゲリオンは聖書の外典や神話、心理学なども絡んだ複雑なストーリーなのでここでは詳述することができません。
新世紀エヴァンゲリオンを構成する設定のうち、シン・ゴジラに関連のある部分を抜き出し、極端にシンプルにまとめてしまうと、以下のようになります。
- 人間は「知恵の実」を持ち、使徒は「生命の実」を持っている。
- 「知恵の実」をもつ者と「生命の実」をもつ者とが融合すると、神になる。
- 地球という星を支配できるのはひとつの種族だけ。生き残る種族を決める戦いである。
この設定をシン・ゴジラに当てはめてみると、使徒がゴジラに変わっただけで、物語の説明がつきます。
真・ゴジラは牧博士の意思に従い、東京を滅ぼそうとします。その目的を果たしたあとは、生存本能に従って生命の頂点に立とうとするのです。
もし矢口たち人類が負けていたら、ゴジラは進化を続け人類を殲滅し、地球の支配者になっていたでしょう。
ラストの尻尾は、地球の支配者になるはずだった
以上の考察から考えられるのは、映画のラストで映されたゴジラの尻尾は、より神に近づいた完全生物、シン(神)・ゴジラを表していたのではないでしょうか。
聖書では、神は自分の姿をかたどって人を作りました。そしてその者に万物を支配させようとしたのです。
現在、地球上で繁栄し地上を支配しているように見えるのは人間です。人間の形は現時点での進化の到達点といえるのかもしれません。
つまり、神にいちばん近いのが人間だとするなら、シン・ゴジラの最終形態は人間に近い形になるはずです。
そして作中では進化の末に飛翔するかもしれないと言われていました。
翼のある人間の形をしたもの……。つまり、天使のような形状を有するのが、シン/真/神なるゴジラの姿なのかもしれません。
ちなみに上の画像は「巨神兵東京に現わる」で出てきた巨神兵の姿です。どうでしょう、この考察のシンなるゴジラの姿と重なりませんか。
新・ゴジラが描くもの
今回は新世紀エヴァンゲリオンとの共通点を中心に考察してきました。しかしシン・ゴジラはさまざまな観点から考察ができる作品です。
今回は触れませんでしたが、詩集「春と修羅」から読み取れる牧博士の心情や、自衛隊や官庁の迎撃フロー、震災や災害との関連など、語るべきことが数多くあります。
魅力的な謎に包まれた作品を生み出し、社会現象を巻き起こす庵野秀明監督の手腕は、アニメ界だけでなく邦画界でも発揮されました。
新たなゴジラが日本でこれだけ受け入れられたのは、ひとえにシン・ゴジラが「希望」を描いているからでしょう。
進化への希望、人間への希望、未来への希望。その希望は、災害大国ニッポンに生きる我々に必要なものです。
巨大な理不尽に襲いかかられ、問題を抱えながらも、我々は生きていける、みんなで生きていこうという強い思いをこの作品は伝えてくれます。